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たため、フレテリンの暴動が心配され、国連の車にはフロントガラスに鋼製ネットが張られていた。しかし、わずかな投石で終わった。治安が良くなったことを受け、2012年11月に国連軍は撤退をした。国連軍がいなくなると再度治安が悪化するという噂があったが、問題はなかった。武術集団ホテルの近くで、時々夜10時以降に騒いでいる声が聞こえる。東ティモール日本大使館の警備班の方の話によると、多くの若者はマーシャル・アーツの武術集団に属していて、他の集団とよく喧嘩をしているそうだ。ホテルの近くの集団は腕に7本の入れ墨線が入っているそうだ。公用語現在の東ティモール国は、テトォン語とポルトガル語が公用語である。ポルトガルの植民地時代は、一部の人がポルトガル語を話すだけだったそうだ。インドネシアの統治時代はインドネシア語の教育が徹底された。そして、独立後、政権を取ったフレテリンはポルトガル語を公用語とした。2007年に政権をとったシャナナ・グスマン総理大臣は、テトォン語を多く使うようになった。これは、ナショナリズムを高めようという狙いのようだ。しかし、若い職員はインドネシアの大学やオーストラリアへの留学経験等からインドネシア語や英語を使っている。また、地方では各部族語が使われている。ある調査では、テトォン語がわかる人は87%、インドネシア語が38%、ポルトガル語が16%、英語が4%である。英語のわかる人は少ないが、理解者は増えているようだ。仕事ではテトォン語と英語間の通訳が必要だった。子供テル、映画館、ショッピングモール日本やアメリカでは第二次世界大のある施設が2012年に完成した。戦後、ベビーブームになった。今、こまた、市内から海岸沿いの砂浜をの国は多くの内乱を経てベビーブー散歩したり、海岸沿いの道路を自ムになっている。ディリにも地方に転車で走って約8km東の半島の高も、子供やお腹の大きい女性がいさ50mの丘に立つクリストレイ像まっぱいいる。この団塊の世代が大でのコースは、多くの人が利用して人になったとき、経済が発展して就いる。さらに、ディリから約30km北職できるようになっていないと治安にあるアタウロ島に行くコースは、上、問題になると思う。これを避ける釣りやダイビング好きの人に人気が方法の一つは、現在小学校を卒業ある。する生徒が50%以下という就学率アタウロに行ったときはクジラのを高め、自立できる教育を進めるこ群れを見ることができ、アタウロのとが大事だと思った。静かな海岸を楽しむことができた。西洋人はバンガローで宿泊してい動物た。たぶん、真っ暗な夜、南十字星ディリ市内では鶏を飼っているを見ながら、酒でも飲んで語り続け家庭が多い。また犬が多く、放し飼ていたのだろう。ちなみに、アタウロいにされている。さらに豚もいて、ホには温泉があるが、上陸したベロイテル横のごみ箱の残飯を鶏、犬、豚(Beloi)から遠く、行くことをあきらが漁っている。地方に行っても、鶏、めた。犬、豚が多い。加えて雀も多い。中地方に行くと、浸水の恐れのある央庁舎の前にある海岸公園には樹ロエス川周辺やスアイ海岸付近では齢500年以上の大木の街路樹があ高床式茅葺住宅が見られた(写真り、3匹の猿が住んでいる。8)。一方、山間部では床が地面に着以前、海岸沿いを歩いていたら、いた茅葺住宅が見られた。地元の若者たちにヘビを2匹捕ま沖縄と同じくらい美しいサンゴ礁えたので買ってほしいと言われた。のある東ティモール国は、治安が維また、海岸にはワニの看板があり、持されれば、美しい自然を見に来るワニに注意するよう警告している。観光客も増えることだろう。そんな時々ワニが海岸に上がってくるよう国になってほしいと思いながら帰国だ。スアイ(Suai)ではワニが海岸にした。いた。ディリから東のクリストレイを見ると、突き出した半島はワニのように見える。東ティモール国では、ワニが大きくなってティモール島ができたという伝説がある。見どころディリ市内ではティモールプラザというホ写真8スアイの高床式茅葺住宅Civil Engineering Consultant VOL.264 July 2014047