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巻頭言Consultants「官兵衛」に思う植田薫一般社団法人建設コンサルタンツ協会常任理事2014年のNHK大河ドラマは、筑前福岡藩始祖の黒田官兵衛を主人公とした『軍師官兵衛』であったが、彼はその名のとおり天才軍師として戦乱の世を生き抜いた。このドラマの見所はたくさんがあったが、なんと言っても「備中高松城の水攻め」であろう。法螺貝と太鼓の音を合図に一気に川の流れを変え、地響きとともに渦巻く濁流が城を水浸しにするシーンはまさに圧巻であった。史実はともかく官兵衛はどこであんな技を身につけたのだろうか。まさか半世紀前に没した万能の天才、「水理学の父」とも呼ばれるレオナルド・ダ・ヴィンチが夢枕で授けた訳でもないだろうに。あの時代には、治水や利水を得意とした武将が多く、「風林火山」を掲げた甲斐の武田信玄や虎退治で名を馳せた肥後の加藤清正などがよく知られている。この二人ほどには有名ではないが、佐賀平野を水害から守った成富兵庫も戦場で武功を立てている。古来、我が国は「瑞穂の国」として豊かな自然に育まれているが、一度大雨が降ると恵みのやまたのおろち小川もたちまち八岐大蛇と化し、田畑や人家を飲み込んでしまう。この巨大な自然の力を恐れ敬いつつも共に生きた先人たちの技は、敵の大軍を前にしても彼我の戦力を冷徹に見極め、一瞬の勝機を読み取って大胆に攻め掛かる戦の駆け引きに通ずるものがあるのかもしれない。こうした技は、時代を超えて受け継がれ、明治維新以降に導入された西洋の科学技術と相俟って、田辺朔郎の琵琶湖疏水に象徴される近代土木事業、そして戦後の驚異的な復興を支えてきた。ところが、20年前くらいから思いも掛けない向かい風が吹き始めた。それは「悪玉論」となって徐々に勢いを増し、数年前に一挙に国中で吹き荒れた。これが最も明らかになったのが東日本大震災であった。自らも被災しながら身の真っ先に道を切り啓いた地元建設業の人々への評価は、決して高いとは言えなかった。これには様々な要因が考えられるが、インフラ整備を生業としてきた建設人は、縁の下の力持ちの役割をひたむきに果たしてきたが、そのことを世の人々に伝えることは、あまり得意としなかったからではないだろうか。さすがに最近は、豪雨や台風、地震などの大規模な自然災害に対する国土強靱化や老朽化した施設の維持・補修への意識が高まり、それに加えて官民一体となって国土整備の広報活動を積極的に推し進めたことにより、一頃よりも世の風向きが少し変化を示し始めたような気がする。ゴールデンタイムのトークバラエティでパナマ運河建あきら設に貢献した青山士を取り上げたり、女性外国人記者がレポーターとして、東日本大震災の時に近隣への救援ルートを繋いだ地元の活躍を放映するなど、これらをその兆しと捉えるのは少々楽観的過ぎるだろうか。官兵衛は、城攻めだけでなく城造りにも長けており、中津城や福岡城を築城したが、それだけでなく、まちづくりにもその才を発揮した。太閤秀吉の命により、戦火で焼け野原となった博多を町割りして、現在150万都市として発展している福岡市の礎を築いた。博多の代表的な祭りの祇園山笠ながれには「流」という運営組織がある。それは町割りが基になっており、「流」という言葉も彼自身が付けたという説もある。博多の町は、7月1~15日まで山笠一色に染まり、今もなお、多くの人々に慕われ続けている。彼には広報の才もあったに違いない。官兵衛は、キリシタンであったにも拘わらず剃髪して「如水」と号した。その由来にも諸説あるが、いずれも定かではない。その一つ「水は方円の器に随う」は、奥深く難しくはあるが、心に残る言葉でもある。危険も顧みず瓦礫の山に立ち向かい、救援部隊を通すため