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にかほ市平泉町おくのほそ道第11回パシフィックコンサルタンツ株式会社/経営企画部油谷百百子ABURAYA Momoko(会誌編集専門委員)酒田市大石田町宮城県山形県仙台市松島町岩沼市江戸時代の街並みが今も残る静かな町「出雲崎」福島市出雲崎町福島県新潟県須賀川市白河市『荒海や佐渡によこたふ天の川』栃木県茨城県下関山口県島根県広島県尾道鳥取県岡山県香川県京都府兵庫県明石大阪府奈良県福岡県愛媛県高知県徳島県和歌山県大分県熊本県宮崎県島県1昭和初期の出雲崎市街46歳の芭蕉が門徒曾良を伴い、出雲崎へ立ち寄ったのは1689(元禄2)年7月4日(現在の8月18日)。その際、大崎屋で一泊し、流刑の地である佐渡島と年に一度の橋を架ける七夕の伝承への思いから、この歌を詠んだと伝えられている。出雲崎町は、南北に細長く延びる新潟県の海岸線のほぼ中央に位置する。1616(元和2)年には幕領支配の拠点として、最初の代官御役所(陣屋)が設置された。江戸時代の出雲崎は約3.6kmの街道沿いに2~3万人が住んでおり、佐渡の金銀の陸揚げ港、北前船の発着港として栄え、北国街道の宿場町として多くの人が行き交っていた。そのため、この地域一帯の政治、経済、文化、交通の中心都市として、越後一の人口密集地であった。海岸地区は山と海に挟まれた100~200mの狭い土地であり、かつての北国街道が海岸線に並走している。この狭い土地に多くの人が住む方法として、間口が狭く奥行きの長い「妻入り」の町屋が多く建てられた。道路に面して、屋敷が広く取れないこの地区では、「妻入り」形式よりほかに方法がなかった。また、海から直接舟が家の中に乗り入れられる「舟入り」の形をとっていた。当時の町屋は間口の幅に応じて税金がかかるため、間口3間(5.4m)が一般的であったが、1758(宝暦8)年に出雲崎の名主の家に生まれた禅僧で歌人の良寛の生家・橘屋は13間半(24.3m)だったといわれており、その繁栄ぶりが窺い知れる。出雲崎では、家々が密集しているため火災が起きると延焼は避けられなかった。しかし地理的な制約から、何度も火災にあいながら今も当時の街並みが残っている。032Civil Engineering Consultant VOL.268 July 2015