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Consultant268号

トラックを運転しはじめて23年になる。大学を出てサラリーマンを3年やったが、どことなく物足りなさを感じていた。出荷作業の応援で、倉庫に向かう地下鉄の駅の長い階段を上ると、目の前の湾岸道路にはたくさんの大型トラックが走っていた。「これも経験として有りだな」と思った。もともとクルマが好きだったし、ドライバーは当時、高給だった。少しやったら辞めるつもりだった。ところが、日本中を走り回れるトラックの魅力に引き込まれていった。阪神淡路大震災3年が経ち、東京?四国間の長距離定期便を運転していた時、阪神淡路大震災が起きた。阪神地区に集中していた日本の大動脈が全て分断。迂回した日本海側や丹波山中の国道はひどく渋滞した。通常片道10時間のところが20時間もかかった。その後も2年間くらいは中国道・宝塚で毎朝16kmの工事渋滞に遭い、1日の運転時間は12? 1 4時間ともなった。積み降ろし時間も合わせると、睡眠時間はだいたい3時間しか取れない。寝不足でまた誰かが事故を起こす。そういう悪循環が続いた。「日本の物流はいったいこんなことでいいんだろうか」という問題意識を持ち、文章を書くようになった。史上最大の渋滞長距離トラックの運転というのは、長い高速道路を等速直線運動で坦々と走る、といった穏やかなものではない。速度差のある大量のトラックが高速道路上でひしめき合い、絶えず抜きつ抜かれつを繰り返している。平成初期、特に交通量の多い東京?大阪間は東名?名神(基本4車線)の1ルートしかなかった。今日預かった荷物を、日本全国1 ,000km以内なら翌日配達するという、宅配便のサービスが社会的に重要なシステムとして定着し、各社はスピードを競った。トラックの交通量は増加し、かなりの頻度で事故渋滞や通行止が発生していた。そんな中、史上最大の渋滞を経験した。平成7年1 2月25日クリスマスの夜、関ヶ原から琵琶湖南岸にかけて大雪が降り、名神高速では大規模な立ち往生が発生した。先がもう詰まっているのに、年末商戦の商品や歳暮を積んだトラックがどんどん高速道路に入って来て、26日には西に向かう渋滞は愛知県の東名・音羽蒲郡インターまで延びていた。記録には「2 7日に名神・泰荘PA ?東名・赤塚PA特集渋滞を知るトラック人生と渋滞長野潤一NAGANO Junichiプロフィール1965年愛媛県生まれ、千葉県在住。トラックドライバー、フリーライター。阪神淡路大震災の経験を通し物流問題に関心。運送会社に勤務しながら物流・道路交通問題の原稿を執筆。輸送経済新聞、雑誌『ベストカー』(講談社ビーシー)に連載。006Civil Engineering Consultant VOL.268 July 2015