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があったので、最初に発達したのは、これらを開発して一次産品・鉱産物を欧米先進諸国へ輸出する経済部門であった。したがって最初に興された土木事業は、これら商品を内陸から積み出すための鉄道の敷設と、船積みするための築港・整備であった。ブラジル最初の鉄道線はリオデジャネイロのあるグアナバラ湾沿いの14kmで、開通は1854年である。アルゼンチンは1857年、ブエノスアイレス市内の始発駅は現在のコロン劇場の位置にあったが、そこから西へ延びる線路の最初の10kmが開通した。メキシコでも写真11ほぼ同じ時期にメキシコ湾岸ベラクルス港から西へ延びる線が着工したのだが、間もなく工事は政治動乱により中断され、メキシコシティまでの全線開通は1873年のことになる。メキシコではメキシコシティから北の米国国境にいたる鉄路が、北部の鉱山地帯を米国の市場と結んだ。アルゼンチンではパンパを横切って鉄路が延びるにつれて、その左右の草原が新発明の有刺鉄線に仕切られて、小麦畑や、アルファルファなど栽培牧草を用いる高生産写真12コロンビア、カルタヘナ、サンフェリペ・デ・バラハス要塞。稜堡上から連絡通路を隔てて反対側の稜堡を望むコロンビア、カルタヘナ、サンフェリペ・デ・バラハス要塞全景性の牧草地に変貌していった。しかし何といっても劇的なのはブラジル・サンパウロのコーヒー・ブームだろう。地図上ではサンパウロは海沿いにあるように見えるが、実は標高760mに位置する。海岸との間には切り立った山地があって、町はその西麓にあり、地面はそこからずっと西のパラナ川に向けて緩やかな下り坂をなす。つまり奥地へ行くほどマラリア禍のある不健康地となる。1867年に山を越えて海岸に至る鉄道が開通した瞬間、この緩やかな下り斜面が世界最大のコーヒー生産地に生まれ変わった。そして鉄道の海側の末端には、コーヒーを積み出すサントス港が出現し、みるみる発展した。ブラジルのコーヒー・ブームはすでに1850年頃に始まっていたが、これまでその生産地はリオデジャネイロから少し入ったパライバ川流域にあった。労働力は奴隷だった。イギリスの圧力で西アフリカからの奴隷輸入はもはや不可能だったので、不況に苦しむ国内北東部砂糖地帯から買いつけてきたのである。リオのカーニバルに代表されるアフロ系カリオカ文化が生まれたのは、これ以後である。014Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016