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図1中央に川が流れる175 0年頃のグアナファト図2着色部がグアナファトのトンネル(グアナファト市のパンフレットより)写真1トンネル内でバスを待つ乗客写真2アロンディガ・デ・グラナディータス(首を吊したフックが見える)■グアナファトの歴史9月16日はメキシコの独立記念日で、全国で盛大にお祝いが繰り広げられる。独立戦争の口火を切ったのはグアナファトである。市内に穀物倉庫として建設されたアロンディガ・デ・グラナディータスは、1810年にメキシコ独立戦争が始まるとスペイン軍の陣地として使用され、イダルゴ神父が率いる解放軍との激戦が繰り広げられた。現在も残る建物上部の四隅にある鉄のフックには、イダルゴ神父を始め独立運動の首謀者4人の首が晒され、それぞれの銘板がはめ込まれている。その後、1967年にグアナファト州立博物館となり、植民地時代の歴史資料や地域の工芸品などが展示されている。グアナファトの銀鉱はスペインからの征服者によって1550年頃に発見された。このうち1558年に採掘を始めたラジャス銀鉱が最も古い。メキシコ独立運動のグアナファトの英雄の名を冠したピピラの丘から遠くに見える、サボテンの樹液と石灰で造られた数10mの直立した擁壁の背後にある。直径11.3m、深さ約400mの八角形の立坑から、今は電気モーターで採掘しているが、当初はロバが、後には蒸気機関が使われていた。銀を精錬した後の岩くずは道路の路盤材として利用されている。また、近隣にあるバレンシアナ銀鉱は、18世紀に世界の銀の2/3を産出したと言われており、深さ600mのボカ・デル・インフィエルノ(地獄の口)が有名である。日本は2007年に世界遺産に登録された石見銀山など、当時は世界でも主要な銀産出国であった。しかし日本の銀は、メキシコ銀の流通と原石の枯渇によって衰退してしまった。銀鉱の所有者も銀の精錬を行っていたものの、採掘量が非常に多かったため、立坑横に屋根付きの銀鉱石販売所を設置して近隣の農場主にも販売していた。グアナファト川の周辺には農場主が所有する精錬所が建ち並んでいたが、街が谷地形の上に位置することから洪水による被害を何度も受けた。グアナファトからの銀は全長約2,500kmの「銀の道」と呼ばれるカミノ・レアル・デ・ティエラ・アデントロ(大地の中の王の道)で運搬された。メキシコを代表する5つのコロニアル都市をつなぎ、アメリカのニューメキシコ州サンタフェとメキシコ・シティーを結んだ。道は2010年に世界遺産として登録された。Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016017