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The Panama Canal is an important hub for global marine trade世界の海上交易の重要ハブ「パナマ運河」パナマ共和国、パナマ県およびコロン県特集土木遺産XIIIラテンアメリカ古代文明から現代文明への転換を支えた土木技術Special Features / Civil Engineering Heritage XIIIパナマ運河ミラフローレス閘門日本工営株式会社/コンサルタント国内事業本部/品質・環境管理室平田潔(会誌編集専門委員)HIRATA Kiyoshi■20世紀最大の土木工事首都パナマ市の中心から車で南西に5kmほど行くと「アンコンの丘」と呼ばれる小高い場所がある。丘から北西を望むとパナマ運河と港湾施設が一望できる。また、東には旧市街地が、北東には新市街地の高層ビル群が林立する。人口約386万、国土面積75,517km 2のパナマ共和国の中央部に位置するパナマ運河は、1914年に完成した。二つのゲートを設けて高低差のある水路を区切り、閘室内の水位を調整して船を昇降させる閘門(ロック)式運河で、全長は約80kmある。1880年1月、スエズ運河を建設したフランス人実業家フェルディナン・ド・レセップスによりパナマ運河建設が開始された。スエズ運河と同じ海面式運河(水平式運河)として建設を始めたが、予想を超える難工事とマラリアや黄熱病などで多くの犠牲者を出し、パナマ運河会社は倒産。フランスによるパナマ運河建設は失敗に終わった。その後の1904年、アメリカによるパナマ運河建設が閘門式運河として開始され、1913年にパナマ運河は事実上完成した。パナマ運河建設工事は20世紀最大の土木工事の一つと呼ばれている。なぜ、アメリカはパナマ運河を建設したのだろうか。■運河建設構想文献1)によれば1513年9月、スペイン人バスコ・ヌーニェス・デ・バルボアの探検隊は、ヨーロッパ人として初めてパナマ地峡を大西洋側から太平洋側への横断に成功した。以来、パナマ地峡はインカ帝国などからの金銀財宝や香辛料等をヨーロッパへ輸送する重要な中継点となった。パナマ地峡に運河を建設するという構想は古くからあった。スペイン帝国は中米地峡の運河候補ルートの現地調査を16世紀から18世紀後半まで行い、ニカラグアやパナマなど4つの候補を挙げた。19世紀初頭、プロ020Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016