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写真6ミラフローレス閘門写真7建設中の新ガトゥン閘門(2015年8月)写真8パナマ国旗にマッデン多目的ダム(アラフエラ湖)が建設された。■閘門式運河の特徴船は海抜26mのガトゥン湖まで3段の閘門を上がる。船が閘室に入ると後ろのゲートが閉まり、閘室の床面と側面の100個ほどの穴から水が噴き出し8~10分で次の閘室との水位が同じになる。大型船は両岸にあるインクラインと呼ばれるレールを走行する三菱製の8台の電気機関車に牽引されて次の閘室へと進む。完成当時は蒸気機関車で牽引していた。ミラフローレス閘門とガトゥン閘門にはビジターセンターがあり、様々な施設を見学でき、大勢の観光客が訪れる。■日本人技術者・青山士パナマ運河建設に携わった唯一の日本人技術者としあきらて青山士がいた。始めは測量補助員(ポール持ち)であったが、勤勉と有能さから短期間に昇進し、ガトゥン閘門の側壁、中央壁先端のアプローチ水路の主任設計技師となり、後にガトゥン工区の副技師長になった。第一次世界大戦の影響もあり、青山は運河が完成する前の1911年11月に帰国した。帰国後、内務省で荒川放水路開削や信濃川大河津分水改修等の治水工事を手掛けた。■パナマ運河拡張計画パナマ運河拡張工事は2007年9月3日に開始された。総事業費52億5千万ドル(約6,340億円)をかけて2016年第1四半期の竣工を予定している。現在の3閘門に平行して、太平洋側と大西洋側にそれぞれ3閘室の閘門を新設する。新閘門はスライド式ローリング・ゲートと節水槽の建設を含む。節水槽により消費水量の60%が再利用できる。新閘門を通過できる船の最大の大きさは幅49m(現行32.3m)、長さ366m(同294.1m)、喫水18m(同12m)となる。表1パナマ運河閘門の主要諸元(現行施設)項目ミラフローレス閘門ペドロミゲル閘門ガトゥン閘門位置太平洋側太平洋側大西洋側レーン(航路)数222閘室数213閘門の総延長1.6km(1mile)1. 2 9 k m(0 . 8 m il e)1.93km(1.2mile)閘門の総上昇高16.5m(54ft)9 . 5 m(3 1f t)26m(85ft)閘室の幅33.5m(110ft)33.5m(110ft)33.5m(110ft)閘室の長さ304.8m(1000ft)304.8m(1000ft)304.8m(1,000ft)各閘室の平均水深23.5-25m(77-82ft)23.5-25m(77-82ft)23.5-25m(77-82ft)ゲート(門)の数282440ゲート(門)の高さ14 . 3 - 2 5 m(4 7- 8 2 f t)14 . 3 - 2 5 m(4 7- 8 2 f t)14 . 3 - 2 5 m(4 7- 8 2 f t)ゲート(門)の幅19 . 5 m(6 4 f t)19 . 5 m(6 4 f t)19 . 5 m(6 4 f t)■アンコンの丘運河地帯の永久租借地にはアメリカの軍事施設がおかれ、南米におけるアメリカの軍事拠点となっていた。第二次世界大戦後になるとパナマの民族主義が高まり、運河返還を求める声が強くなった。度重なる反米運動や抗議デモなどが行われ、国家防衛隊や米軍と衝突し、死傷者も出た。1977年、新パナマ運河条約『オマル・トリホス=ジミー・カーター条約』が結ばれ、運河および運河地帯は1999年12月31日正午にパナマへ正式に返還され、アメリカ軍は完全撤退した。現在のパナマ運河はパナマ共和国のパナマ運河庁が管轄している。現在、アンコンの丘の頂にはパナマ国旗が誇らしげに掲げられている。また、アメリカによるパナマ運河地帯の統治を嘆いたパナマの女性詩人アメリア・デニス・デ・イカサの銅像がひっそりと佇んでいる。平和になったアンコンの丘を地元の小学生たちが遠足に訪れていた。<参考文献>1)『パナマを知るための55章』国本伊代・小林志郎・小澤卓也2004年明石書店2)『パナマ運河史』河合恒生1980年教育社3)「在パナマ日本大使館ホームページ」(http://www.panama.emb-japan.go.jp/)4)「パナマ運河庁(Panama Canal Authority)ホームページ」(http://www.pancanal.com/eng/)5)『Guide to the Panama Canal』Ediciones Balboa-Panama2015年6)『パナマ運河と地すべり』SABO Vol.73中村浩之砂防・地すべり技術センター2002年7)『ぱなま運河の話』青山士1939年<取材協力>1)Autoridad del Canal de Panama(ACP:パナマ運河庁)2)David J. Kanagy(通訳)<図・写真提供>図1参考文献1より図2 ACPホームページより図3、写真1、2、3、4、5、7、表1 ACPP18上近藤安統写真6平田潔写真8塚本敏行Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016023