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■世界遺産、カパック・ニャン現在のペルー、ボリビア、エクアドル等に跨って存在したインカ帝国は、数多くの遺構を残している。幻の天空都市とも呼ばれるマチュピチュをはじめ、古都クスコなどが世界遺産に数多く登録されている。インカ道は2014年にペルーで12番目の世界遺産に選ばれており、王の道を意味し、かつての現地語であるケチュア語の呼称「カパック・ニャン(Qapaq Nan)」で登録されている。この道は用途に応じて「カパック・ニャン(王の道)」「ハトゥン・ニャン(広い道)」「フチュイ・ニャン(狭い道)」「ルナ・ニャン(庶民の道)」の4つに区分されていたと言われる。世界遺産として登録されているカパック・ニャンはこれらの総称で、「広義」のカパック・ニャンである。このランク分けは、幹線と枝線としての区分だけでなく、利用上も大きな意味を持っており、狭義のカパック・ニャンは、統治や軍事などの公用で主に利用される道であり、一般に広く利用できる道ではなかった。王の道と呼ばれる由縁である。ちなみに「インカ」もケチュア語だが、これはスペイン征服以降に付けられた国名であり、他にも「タワンティスーユ」という呼称がある。これは「4つの地方」という意味であり、帝国が4つの地方を統一していたことを示している。図1 6カ国にまたがるインカ道■4つの地方を結ぶ十字のネットワーク帝国の4つの地方は東がアンティスーユ、北西がチンチャイスーユ、南がコリャスーユ、西がクンティスーユと呼ばれており、クスコを中心にカパック・ニャンがこの4つの地方からなる国土を十字に結んでいる。日本の五街道における日本橋のごとく、4本の道の起点(道路元標)はクスコのアルマス広場にあり、各地方の主要都市を繋いでいた。カパック・ニャンは、広大な帝国を一つに束ね繋ぎとめる国土の軸であり、帝国の首都であったクスコからの命令を隅々に行きわたらせるためのネットワークであった。「血管のように繋がっていた」とはクスコ文化局の言だが、この道の役割を端的に表現している。この道路網はすべてがインカ帝国時代に築かれたものではなく、それ以前の道路を吸収統合していったものである。カパック・ニャンの成立時期は明確ではないが、インカ帝国は15世紀半ばに拡大をはじめ、1532年のスペイン侵略に至るまでの約1世紀が最盛期であり、その間に成立したものと考えられる。■図2アルマス広場を起点とするカパック・ニャン写真2まっすぐにクスコに延びるカパック・ニャンチャスキ、タンボ、コルカこの道路網には、その機能を果たすため様々な設備や仕組みが備わっていた。例えばチャスキと呼ばれる公設の飛脚である。情報を迅速にクスコに届けるためのシステムであり、5kmの間隔をおいて道沿いに駅が設けられ、そこには常時2名の飛脚が駐在していた。文字を持たないインカ帝国では、キープと呼ばれる紐の束が情報伝達に使われており、彼らはキープを次から次に引き継ぎ情報を伝えていた。その速度は駅間を15分、時速20kmに達したとも言われている。また、タンボと呼ばれる宿場が道沿い30km毎に設置され、皇帝の農地で収穫されたジャガイモなどを収蔵するコルカと呼ぶ倉庫を備え、旅人や兵士に物資を供給していた。Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016029