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写真4マチュピチュのカパック・ニャン写真6カパック・ニャンから見下ろすマチュピチュ遺跡技術があってこその道であると言える。この断崖の道は、山の中腹を同程度の高さで貫いて造られているため、山を上り下りして越えるよりもはるかに通行は容易だったはずである。マチュピチュは山の上につくられた都市であり、今では専用バスでつづら折りの山道を登らないと辿りつけない。しかし山中に造られた街道から来る人は、街より高い位置にある入口から入ることになる。往時の帝国の人々が見たマチュピチュは山の上に見上げる都市ではなく、カパック・ニャンから眼下に見渡す都市だったのだ。■カパック・ニャンのその後インカ帝国を支えてきた広大な道路ネットワークも、スペイン統治時代の文明の変化に抗しきれずその姿を変容させていった。スペインは侵略の際にこの道路網を通行し、道々のコルカの物資を活用したが、征服後はそのシステムを引き継がず、チャスキやタンボなどのカパック・ニャンの持つシステムは帝国の崩壊とともに失われていったのである。さらに車輪や馬の導入により、徒歩やリャマでの行き来を前提としていたカパック・ニャンは利用できなくなっていった。システム面でも交通手段でも利用に適さなくなった道路ネットワークは失われ、代わって新たに車輪や馬、そして自動車での移動を前提とした道路ネットワークがその役割を担うようになっていったのである。かつて重要な都市であったマチュピチュが幻の都市となったのも、道路ネットワークの変化に取り残されたためではないだろうか。現在でもマチュピチュにはクスコなど周辺の地域から自動車では行けず、アクセス手段はカパック・ニャンか20世紀に入ってから敷設された鉄道に限られている。しかし世界遺産の登録以降、カパック・ニャンの復活に向けた取り組みが関係諸国により進められている。それは道路の調査や補修、吊り橋の架け替えといった整備だけでなく、ファエーナと呼ばれる共同作業による道路の清掃活動やチャスキを模したレースの開催など、文化的な側面にも積極的に取り組んでいる。道路をはじめとした人々の生活に関わりの深い土木遺産は、その背景としての歴史や伝統習慣も含めた、渾然一体の遺産なのだろう。カパック・ニャンでもこのような取り組みにより、その価値を一層高めていくことは間違いない。マチュピチュやクスコを訪れるなら、目の前の遺跡や景色だけでなく、ぜひ足元にも思いを馳せてみていただきたい。写真5 加工した石材を自然の山肌に積み上げたカパック・ニャンの基礎<参考資料>1)『TIPOLOGIA DE ESTRUCTURAS EN EL QHAPAQ NAN』ペルー共和国文化省クスコ文化局2012年2)『ペルーにおけるインカ道の諸形態』梅原隆治1988年歴史地理学3)『ペルーにおけるインカ道遺構の損壊に関する事例研究』梅原隆治2009年四天王寺大学紀要4)『インカ道の利用・維持管理状況聞き取り調査:ペルー国コンチュコス地域の事例から』大谷博則2013年奈良大学大学院研究年報5)『景観の創造と神話・儀礼の創作─インカ帝国の首都クスコをめぐって─』坂井正人2005年国立民族学博物館調査報告6)『中央アンデス農耕文化論』山本紀夫2014年国立民族学博物館調査報告<取材協力・資料提供>1)Direccion Desconcentrada de Cultura de Cusco(クスコ文化局)2)Federico Moreyra&Moritoshi Yoshida(通訳)<図・写真提供>図1、2、3、4、P26上、写真3クスコ文化局写真1、4、5、6有賀圭司写真2金野拓朗Civil Engineering Consultant VOL.270 January 2016031