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特集土木遺産XIV ?オセアニア入植とともに育まれてきた土木技術?1乾燥大陸オーストラリアの歴史と開発藤川隆男FUJIKAWA Takao大阪大学大学院/文学研究科/教授先住民の世界と河川オーストラリアではヨーロッパ人が到来する以前、75万人くらいの先住民が200以上の言語を持ち、500を超える集団に分れて生活していた。サバナ気候の北部とマリー・ダーリング川の流域に多くの人口が集まっていたが、その生活領域は、今では人が誰も住まない砂漠地帯や原生林地域を含む、おおよそオーストラリアのすべての地域に広がっていた。近代的な土木技術を携えて、1788年の最初の入植以来開発を進めてきたヨーロッパ人は、こうした生活圏を拡大したわけではない。伝統的な生活を送る先住民が、1920年代には6万人程度まで激減したこともあって、人間の生活圏は逆に縮小した。近代技術は、人間が環境をうまく利用し、生活圏を拡大することに必ずしも貢献したわけではなかった。オーストラリアは乾燥大陸である。雨量が少ないだけでなく、蒸発量も非常に多いので、北部の熱帯・亜熱帯地域と沿岸部を除くと、国土の大部分が乾燥または半乾燥地帯となっている。そのなかでオーストラリア最大の大河、マリー・ダーリング川流域は先住民にとっても豊穣の源であり、多数の先住民が暮らした場所でもあった。先住民の創造の神(精霊)たちは、たとえば虹蛇のように、この大河を切り拓いた精霊であった。オーストラリアの河川は驚くほど季節によって流量が変わる。ダーリング川はしばしば干上がり、航行する蒸気船が1年以上も動けなくなることもあった。オーストラリアにはビラボンと呼ばれる沼があるが、それは流れていた河川が干上がって、深い場所に水が残った沼のことを言う。先住民たちは、こうした沼にバニヤップという水陸ひでりに両生の悪霊がいると信じた。バニヤップの信仰は、旱備えて貴重な水場を魔処として保全する、先住民の知恵であったのかもしれない。入植者たちはこの環境を科学技術によって統御しようとした。1850年代にはマリー・ダーリング川における蒸気船による水運が始まり、これを用いた羊毛の輸出写真1現在のヴィクトリア州チャリカム牧場のファイアリー・クリークのスケッチ(The Challicum Sketch Bookより)。雨の少ない時期になると、川は点在するビラボンに変わる。先住民はここでバニヤップを殺したと言い伝えてきた写真2 西オーストラリア州パースから金鉱の町カルグァリーに水を供給するパイプライン。道路と並行して走り、その長さは500kmを超える。ゴールドラッシュで集まった数万人の人口を維持するために1896 ?1903年に建設された010Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017