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が盛んになった。1880年代には灌漑が始まり、20世紀に入ると川にダムや堰を設けて、水資源の活用を積極的に図るようになった。それによってマリー・ダーリング川流域はオーストラリアで最も豊かな農業地帯に生まれ変わった。オーストラリア史上最大の土木工事は、1949年に始まり15年にわたって続く、マリー川上流域に多数のダム、水路、発電所を建設したスノーウィー・マウンテンの総合開発であった。しかし、時とともに自然の反撃も始まる。川の水質が流量の減少とともに悪化し、灌漑地域では塩害が発生し、野生動物の宝庫であった自然のままの湖沼地帯は砂漠化した。現在は水を自然に還す試みが続けられている。る。1901年にオーストラリア連邦が結成されるまで、現在の州は自立した自治植民地として、イギリス本国政府と直接関係を結んでいた。オーストラリア各植民地間には特別の結びつきはなく、オーストラリアは単なる地理的名称に過ぎないと言ってもよかった。各植民地は、シドニー(標準軌)、メルボルン(広軌)、ブリスベン(狭軌)などの首府から鉄道網を発展させたので、鉄道の鉱山業と牧畜業オーストラリアは都市社会である。総人口は約2,350万で、そのうち先住民は3%程度。また、人口密度は3人/km 2と極めて低い。しかも人口の71%が首都と州都に集中しており、それ以外の地域の人口密度はいっそう低い。オーストラリアの土木工事は主要な都市のインフラ整備と、その後背地開発のための大規模な事業に向けられており、おもに都市住民の繁栄のために行われているように見える。近年まで、オーストラリアの主要な輸出品であったのは羊毛をはじめとする農産物と、金銀銅、石炭、鉄鉱石などの鉱産物であった。そうした産物の輸出を支えたのが、後背地の産物を運ぶための鉄道や道路、港湾などのインフラであり、通信のための電信線などの敷設、遠隔地との高速輸送を可能にする航空路の整備などであった。こうした開発は、信用力の高い政府がロンドンで低利の資金を調達し、それをこうした設備に重点的に投資することで可能になった。鉄道の建設は1850年代に始ま写真3カルグァリーにある露天掘りの金鉱山スーパーピット。中央の左右に走る線が道路であり、その巨大さが理解できる。カルグァリーは1890年代にゴールドラッシュで勃興した町だが、露天掘り鉱山の開発で蘇った写真4ニューサウスウェールズ州中央沿岸部にある町ケンプシーのマクレイ川に架かるケンプシー交通橋。1 9 5 9年に開通した道路橋はその独特の姿から多くの人々に愛されているCivil Engineering Consultant VOL.274 January 2017011