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軌間に全く統一性がなく、植民地(州)間の移動に困難が生じた。それでも19世紀までは物資を内陸から首府にある積出港まで鉄道で運べれば不自由はなく、経済発展の障害になることもなかった。しかし連邦が結成され、1917年にオーストラリアの東西が鉄道によって結ばれても、軌間が異なるため繰り返し積み替えが必要で、とても不便であった。現在、オーストラリア内陸の主要な輸送手段は道路と空路である。道路網の急速な発達の背景には、軌間の不統一という問題もあったようだ。オーストラリアで最初に大規模に採掘された鉱石は銅である。1840年代に発見された銅は、カパンダやバラのような銅山の露天掘りで採掘された。現在でも鉄鉱石や石炭、金やボーキサイトなど多くの鉱石が露天掘りで採掘されている。こうした鉱山と港を結ぶ道路・鉄道と鉱石の搬出のための港湾整備のための土木工事は、内陸部開発に必須の事業であった。内陸の鉱山は採掘に必要な機材だけでなく、さまざまなインフラを必要とする。例えば、2週間労働と1週間の休日を組み合わせて働く労働者がいる遠隔地の鉱山では、休日を町で過ごす労働者を運ぶための空港さえ必要になる。都市生活のために1830年代までのオーストラリアの開発は、16万人以上の流刑囚の労働力によって行われた。植民地政府が囚人労働力を用いてインフラを整備したのである。1840年代から自由移民が多数を占めるようになるが、政府が公共事業を主導するという形態に変化はなかった。首都キャンベラは計画都市として名高い。シドニーを例外として、主要な都市はすべて都市計画に基づいて建設されており、地図を見れば、政府が主導した開発が広く行われてきたのは一目瞭然である。19世紀後半に入ってもこうした状況は続く。増大する都市人口に合わせて、港や鉄道や橋の建設、ガス・水道・電気の配給などが政府主導で進められた。今でもメルボルンでは路面電車が行き交っているが、それはこの時代の名残りである。乾燥した気候は都市の発展にも影響を及ぼしている。それがもっとも典型的に表れるのは首都キャンベラである。首都といっても人口は40万に満たず、規模からいえばシドニーの1/10にもならないが、こうした状況が将来大きく変わる見込みはない。その一番大きな制約要因は水資源である。内陸の雨量の少ない場所にあるキャンベラは、大規模な水源を確保しない限り大幅に人口を拡大することはできないのである。規模拡大のために他の州から水を譲ってもらうことも容易ではない。年間降水量の不安定なオーストラリアでは、いずれの州も州都の水の安定供給を図ることが至上命題であるからだ。海水の淡水化プラントの設置や下水の再利用など、すでに水資源の拡大や有効利用の施策が実行に移されているが、地球温暖化の進行がもたらす不安定な気候に対処するのは喫緊の課題となっている。近年、新自由主義が支配的になったオーストラリアでは、空港や港湾の利用権や高速道路の建設権が民間企業に売却されるようになっている。それは政府主導によってインフラ整備を進めてきたやり方の大きな転換であるが、その成り行きを見守っていきたい。最近ではダーウィンの港湾施設が99年間中国企業の利用に供されることになり、物議をかもしているが、こうしたやり方が本当に国民のためになるかどうかがわかるには、もう少し時間が必要であろう。<参考文献>1)藤川隆男著『妖獣バニヤップの歴史』刀水書房、2016年、1-33頁写真5ラウンド・ハウスと呼ばれる西オーストラリアのパースの外港フリーマントルに残る1830年築の建物。西オーストラリア最古の建築物で囚人の監獄として使われた012Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017