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ストーニークリーク橋The Kuranda Scenic Railway contributed significantly to the development of Australiaオーストラリアの発展に寄与した「キュランダ鉄道」オーストラリア、ケアンズ特集土木遺産XIVオセアニア入植とともに育まれてきた土木技術Special Features / Civil Engineering Heritage XIV八千代エンジニヤリング株式会社/経営企画本部/経営企画部箕輪知佳(会誌編集専門委員)MINOWA Chika■世界遺産を走り抜ける鉄道キュランダ鉄道はオーストラリアのクイーンズランド州北部の港町ケアンズと、そこから北西へ33.2km、アボリジニ語で「熱帯雨林の村」を意味するキュランダを結ぶ延長75.1kmの山岳鉄道である。現在は主に観光鉄道として1日2往復運行している。列車は1億3千万年前に生まれた世界遺産の熱帯雨林を通り、急傾斜な渓谷を片道約1時間45分かけて抜けて行く。ゴールドラッシュ時代を思わせるレトロな車両が人気で、途中の撮影スポットに停車するなど、観光客を楽しませてくれる。1886年に工事が開始され1891年に完成、2016年には開業125周年を迎えた。なぜこの地に鉄道が敷設されたのだろうか。■物資輸送ルートの選定1876年に金が、そして1880年に錫が相次いで発見されたことにより、ケアンズはその積み出し港として栄えた。しかし、ケアンズ周辺は地形が急峻で険しく、植生の深い山地に囲まれており、沿岸部と内陸部との通行は困難を極めた。沿岸部から奥地に向けて物資を運ぶには、原始的で危険なルートを使うしかなかった。1882年、豪雨によってこの物資輸送ルートが途絶えてしまい、多くの鉱夫たちが餓死寸前にまで追い込まれた。そこで同年、沿岸部と内陸部を繋ぐ物資輸送ルートの選定が開始され、ポートダグラスやケアンズ等の町が鉄道誘致合戦を繰り広げた。その結果1884年、測量技師ジョージ・ウィリアム・モンクの報告によって、クイーンズランド州政府はケアンズを終着駅とすることを決定した。調査は鉄道部門のチーフエンジニアのロバート・バラードによって開始され、調査・設計・監督の大部分はクイーンズランド州鉄道の北部地域技術責任者であったウィーロウビー・ハンナムが監理した。1838年にイギリスで生まれたハンナムは土木の見習い職人として働き始め016Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017