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図2縦断図図1キュランダ鉄道路線図た。1860年に来豪し、メルボルン-マレー川鉄道の測量技師助手として従事した。その後数社で仕事をした後、1872年にクイーンズランド州政府の鉄道課に地域技術員として入社し、技術責任者ロバート・バラードの元で測量を担当した。1885年には北部地域技術責任者に任命され、1889年に退職するまで主にキュランダ鉄道に携わって来た。1893年にキュランダにてその生涯を閉じ、ケアンズに埋葬された。■素手で山を切り開く「1882年5月28日。酷い旅。道路通行不能。20日間食糧なし。草の根を食べる。19日間雨降りやまず」。この記録からは、測量だけでも大変な苦労と日数を費やしたことを示している。工事は1886年5月に開始され、ケアンズ方から13.2kmの第1工区、24.5kmの第2工区、37.4kmの第3工区の3つに分けて進められた。第1と第3工区は平坦で比較的工事が容易であったが、第2工区は急勾配や密林、そして先住民族であるアボリジニからの妨害を受け、非常に困難で骨の折れる工事となった。工事のほとんどを請負ったのはメルボルンのジョン・ロブである。1834年に北アイルランドで生まれたロブは1854年頃にオーストラリアに着き、個人単独で、ビクトリア州やサウスオーストラリア州、西オーストラリア州で大規模な土木工事や鉄道工事を多く手掛けていた。工事が開始されると、湿地帯や密林という過酷な環境と重労働により、現場には疫病が蔓延した。当時は現在のような大型土木機械が一切なかったため、ツルハシやシャベル、ダイナマイト、バケツ、そして素手によって山を切り開く工事に挑まなければならなかった。起伏の多い土地、厳しい熱帯性気候、物資が届きづらい工事現場という悪条件の中、工事最盛期には1,500人もの労働者が従事した。国内だけでなく、アイルランドやイタリアからの労働者も多く、竣工後は彼らの多くがこの地に残ることを選んだ。写真1現在のディーゼル機関車写真2レトロな車内Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017017