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クライストチャーチ空港図1周辺位置図最初の火口があった場所にあり、水深が深いことから自然の良港として発展した。↑ウェリントン方面クライストチャーチ市中心部クライストチャーチ駅バンクス半島?リトルトン鉄道トンネルヒースコートアースキン岬■港と街を繋ぐルート1850年、リトルトン港に英国からの最初の移民船4隻が到着した。ヨーロッパから沢山の入植者が来たことにより輸出入が盛んに行われ、リトルトン港は産業と商業の中心として栄えた。一方、クライストチャーチ中心市街地は海の近くに位置しながらも丘に隔てられていたため、リトルトン港とは物資の輸送に課題を抱えていた。当時、入植者がリトルトン港とクライストチャーチ中心部を行き来するには、ポートヒルズを越えてブライドルの細道を登るか、小型船を使ってサムナーの砂州を横切り、ヒースコートかエイボン川を通るしかなく、重い荷物サムナーブライドルはクライストチャーチ中心部まで運ぶことができなかったのである。そこで、1853年11月に組織されたカ太平洋ンタベリー州地方評議会は、この二つの地域を結ぶ新たな鉄道ルートの検討を始めた。ルートは2案あった。一つはヒースコートの谷を下り、リトルトンの波打ち際まで約2.5kmのトンネルを通る直線ルート、もう一つはヒースコートとエイボン川の河口を経由して、海岸を通ってサムナーへ行き、短いトンネルでゴランズ湾とリトルトンとを繋ぐ迂回ルートだった。しかし、評議会はどちらが良いルートかを示すことができなかったため、計画は進展しなかった。1858年にはウィリアム・セフトン・ムーアハウス知事が、ルートの再検討を指示した。これを受けて評議会は4,000ポンド(現在の約2.8億円)の予算を取り、プロジェクトの入札を行うことにした。議長W.B.ブレイの働きかけで、評議会は実現に向けて州委員会を設立し、当初の2つのルートについての評価を開始した。エンジニアであるエドワード・ドブソンは、迂回ルートが好ましいと考えていた。それはゴランズ湾が深海のため、浚渫しなくても船舶を桟橋に停泊させることができるからであった。しかし、このルートにはいくつか問題があり、その一つがリトルトンを迂回することだった。リトルトンはすでに商業化が進んでおり、重要な設備も備えつつあったが、ゴランズ湾には港の施設用の土地が不足していたのである。鉄道の父と言われた英国の土木技術者ジョージ・スニューブライトンゴランズ湾リトルトン写真1ヒースコート側の坑口写真2リトルトン港Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017029