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The Grafton Bridge is a symbol of Auckland’s grandeurオークランドの威厳を示す「グラフトン橋」ニュージーランド、オークランド特集土木遺産XIVオセアニア入植とともに育まれてきた土木技術Special Features / Civil Engineering Heritage XIVグラフトン橋株式会社片平エンジニアリング/道路交通部大角直(会誌編集専門委員)OHSUMI Tadashi■創成期のオークランドを代表した風景ニュージーランド北島にあるオークランド市は、「帆の街」と言われるほど無数のヨットで埋め尽くされている海岸に面した都市である。複雑に入り組んだ海岸線を持つオークランド市は、もともと48カ所もの死火山の上に造られた起伏の激しい都市であり、火山が形成した谷間を橋で繋ぐことで人々は行き来していた。グラフトン橋は、海岸から少し離れたグラフトン渓谷を跨ぐ市中心部と郊外部とを結ぶ道路橋である。橋が建設された1910年当時、周辺は緑で覆われ、遠くに海岸線と行き来する船が見え、その景色はオークランドの絵葉書に使われるほど素晴らしいものであった。現在でも、周辺は都市化によりビルや道路で溢れているものの、海を見渡すことができる。アプローチを含めた全長が約300mとなるグラフトン橋は、支間97.5m、高さ25.6mの両支点部のほかアーチクラウン(最高点)部にもヒンジを設けた3ヒンジの鉄筋コンクリートアーチ橋で、建設当時は世界一の長さを誇っていた。なぜ、世界一の長さを誇る鉄筋コンクリートアーチ橋を造ったのだろうか。■ニュージーランドとオークランド市ニュージーランドの歴史は、1769年イギリス人の海洋探検家ジェームス・クックにより2つの島であることが発見された時から始まる。植民活動が進んだ1840年、イギリスは先住民族マオリとワイタンギ条約を締結し、ニュージーランドを併合した。そして1841年、初代提督ウィリアム・ホブソンは北島にあった都市を「オークランド(Auckland)」と名付け首都としたのが市の始まりである。その後、南島の牧羊とゴールドラッシュによる人口増加から北島と南島が分裂危機に陥った際、1865年に地理的中間に位置する地をもって、首都がオークランドからウェリントンに移された。しかし、併合後もマオリとの032Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017