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写真5建設当時のグラフトン橋全景写真6グラフトン橋全景1908年当時に作成したことで知られ、マイヤーズ市長とともにオークランド市のインフラの基盤を造り上げた。■困難を経て造り上げら■れたグラフトン橋グラフトン橋の建設は、1907年にオーストラリア写真7歩道の屋根と眺望性を兼ね備えた防護壁のフェロー・コンクリート社が落札し、技師長ロバート・フォーブズ・ムーアが橋の設計と建設を担当した。1865年アメリカ生まれのムーアはイギリスで教育を受け、工兵隊に参加した後オーストラリアに移り鉱山工学を学んだ。1900年代にフェロー・コンクリート社のオークランド支店のエンジニアとなり、ウォーターフロント計画に基づく様々な事業の監督を行い、現在のオークランドの街並みの基礎を築き上げた。鉄筋コンクリートアーチを造るための型枠に使用された木材は約40万本に及び、全てオーストラリアから輸入した。また型枠は粘土層や地下水の影響を受けつつ、谷の地形に沿って複雑な形状に合わせて作成しなければならず、すべて手作業で行われた。さらにコンクリートは約1,200tを数週間かけて打設したが、当時は手で混ぜ合わせたものを一輪車で運んでおり、まさにハンドメイドで造り上げたことになる。ところが1909年、フェロー・コンクリート社が破産する事態に陥った。ブッシュは未完の橋の建設を継続させることを託され、部分払いや調達先への支払い猶予等を行い、なんとか翌年の完成に漕ぎつけた。ニュージーランドが自治領となった3年後の1910年4月28日、グラフトン橋は世界一の鉄筋コンクリートアー写真8 谷底より望む優雅な曲線を描くアーチ部チ橋として日の目を見ることとなった。開通式には待ち望んでいた多くの市民も参加し、橋から波止場を望む雄大な景色を楽しみ、感激もひとしおだったであろう。グラフトン橋は市長のマイヤーズ、市技術者のブッシュ、土木技術者のムーアらの活躍と、それを後押ししたオークランド市民の支えがあって世界に誇れる橋となったのだ。■生き続けている橋1910年の完成から100余年、グラフトン橋は馬車から自動車への変化に対応しつつ、1936年に柱を追加する耐震補強、1953年に伸縮装置の交換、1957年にスパンドレル柱の修理と吹付けコンクリート、1973年にコンクリ034Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017