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写真9墓地の真上に架かるアプローチ部写真10橋の傍らにある初代提督ウィリアム・ホブソンの墓ート部材の修繕、2000年にパラペット取付等の維持補修を行ってきた。修繕の際に技術者たちは、市のランドマークとなっている歴史的な橋に敬意を払い、外見上への影響を最小限にすることを念頭において計画した。近年、大都市となったオークランド市は、火山による起伏の激しい地形の上に築かれているため、活用できる土地も限られており、グラフトン渓谷の底部を活かして高速道路が建設されるなど土地を有効に活用してきた。それでもモータリゼーションの進展に対し、通勤時間帯の交通渋滞は世界的にも有名なほど激しかった。そこで市は2009年に大規模な交通渋滞対策を実施し、バスの定時性を高めるため、グラフトン橋をバスとタクシーの専用道路橋として活用することとした。グラフトン橋は1970年より長らく8t未満の車両重量制限が設けられていたが、2006~2009年にバスなどの40tの車両にも耐えられるように、橋の機能も強化する大規模補強工事を行った。■当時の想い1900年代当時、鋼橋であればグラフトン橋のような100mほどの支間長の橋はそれほど珍しいものではなかった。鉄筋コンクリートアーチ橋としては、世界一を誇れる長さであり、鋼橋よりも重厚で圧倒的な存在感を示すことができたと推測される。ニュージーランド北島にあるオークランド市は、首都ウェリントンやゴールドラッシュに沸いた南島に押されていたものの、商工業や経済が栄え、ニュージーランドをけん引する都市として進み始めていた。グラフトン橋には、ニュージーランドの国威発揚と、オークランドの威信が求められていた。そのために、敢えて世界一の鉄筋コンクリートアーチ橋を選び建設したとも考えられる。■都市の成長とともにオークランド市の人口は、グラフトン橋が建設された当時20万人ほどであったが、現在では150万人を超えた。ニュージーランドの人口の1/3に相当する人々が、この大都市に住む。世界一の鉄筋コンクリートアーチ橋として名を馳せたグラフトン橋は、成長に合わせて拡大した市域と都市を形成する近代的ビル群に囲まれ、今では街の一部として溶け込みひっそりと佇んでいる。しかし現在、平日はバスとタクシー専用道路として渋滞対策の一部として機能しているほか、休日には歩行者天国となることもあり、風景を楽しみながら人々が行き交う姿が見られ、市民が集う憩いの場としても使われ始めている。新しい命を吹き込まれたグラフトン橋は、建設から100余年経た今でも、オークランド市民の誇りとして生き続けている。橋はグラフトン渓谷を最短経路で渡ったため、以前からあった墓地公園の真上に建設されている。橋の傍らにはオークランド市の名付け親ホブソンの墓がある。彼はニュージーランド最大の都市として発展したオークランドを誇らしげに感じていることであろう。<参考資料>1)『Articles on Ports and Harbours of New Zealand』2011 Hephaestus Books2)『Grafton Bridge Strengthening』Will Pank3)『これならわかるオーストラリア・ニュージーランドの歴史Q&A』石出法太・石出みどり2009年大月書店4)『現代ニュージーランド』地引嘉博1991年サイマル出版会5)『ニュージーランド入門』日本ニュージーランド学会1998年慶應義塾大学出版会<取材協力・資料提供>1)Beca Infrastructure Ltd.,(Will Pank)2)Auckland Transport3)IPENZ(The Institution of Professional Engineers New Zealand)4)Yukie Guy(通訳)<図・写真提供>図1、P32上、写真1?6IPENS写真7油谷百百子写真8箕輪知佳写真9有賀圭司写真10茂木道夫Civil Engineering Consultant VOL.274 January 2017035