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6k mしかない。まず、鏡のような水面をリトルダイオミード島に向かう。ここで一泊してもいいのだが、こんな天気は長く続くはずない。荒れる前に一気にユーラシア大陸最東端に向かう。少し迷走しながら、20時間漕ぎ続けて、デジネフ岬に到着した。極北シベリアの最初の旅は犬ぞりだ。アラスカのエスキモーはすでに犬ぞりを使っていない。スノーモービルにとって代わっている。アラスカでは犬ぞりで旅をしていると、エスキモーの老人たちが懐かしそうに寄って来たものだ。ところがシベリアでは今でも重要な運搬や輸送手段だ。ボランというロシア製のスノーモービルや大型装甲車のようなベジトフォートという乗り物もあるが、犬ぞりがよく使われている。犬ぞりを始めたインチョウンという村の人口は400人だが、犬は400頭以上飼っていた。アラスカとシベリアでは犬ぞりの利用方法が違う。アラスカでは夜に犬ぞりで走行することはないが、シベリアでは天気が良ければ、月明り、星明りで、深夜でも走行する。犬は色を識別できないが、人間よりはるかに光の感受性は高い。内陸部ではトナカイが活躍する。シベリアに遅れてやってきた人々は最初トナカイを狩っていたが、飼育に成功し、やがて騎乗するようになる。その後海岸部の人たちが犬ぞりを使っているのを見て、トナカイもそりを引くのではないかと試してみると、犬ぞりよりも馬力があることが分かった。犬にはたくさんの餌を与えなければならないが、トナカイはツンドラにあるトナカイゴケを自分で探して食べる。トナカイぞりに乗った時はメルヘンの世界にいるような気分になった。ゴビやスーダンのヌビア砂漠ではラクダに乗った。砂漠ではラクダなしでは生きていけない。移動だけでなく、食肉として、糞は燃料として、また搾乳もできるからだ。様々な移動手段を使って旅を続けてきたが、今は海に深い関心を持っている。特に船の中でももっとも原始的な竹いかだや草船だ。原始的な船で太古の人々の航海を再現したいと思っている。1998年シベリア、プロビデニアの凍った湾内を犬ぞりで行く(写真:関野吉晴)関野吉晴SEKINO Yoshiharuプロフィール1949年東京都生まれ。1975年一橋大学法学部卒業。一橋大学在学中に同大探検部を創設し、1971年アマゾン川全域を下る。その後25年間に32回、通算10年間以上にわたって南米への旅を重ねる。その間、現地での医療の必要性を感じて、横浜市立大学医学部に入学。医師(外科)となる。1993年、アフリカで誕生した人類がユーラシア大陸を通ってアメリカ大陸にまで拡散していった約53,000kmの行程を、自らの脚力と腕力だけをたよりに遡行する旅「グレートジャーニー」を始める。2002年2月10日タンザニア・ラエトリにゴールした。2004年7月からは「新グレートジャーニー日本列島にやって来た人々」をスタート。「北方ルート」「南方ルート」を終え、手作りの丸木舟による4,700kmの航海「海のルート」は2011年6月13日にゴールした。1999年植村直己冒険賞受賞。2000年旅の文化賞(旅の文化研究所)受賞。現在、武蔵野美術大学教授(文化人類学)。Civil Engineering Consultant VOL.280 July 2018011