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表1交通手段変遷の時期区分・概要と用語区分期期間第1期1880年頃まで第2期1880 ?1920年頃第3期1920 ?1960年頃第4期1960 ?1990年頃第5期1990年以降各期の区分名称(総合的特徴)交通機関の種別近代交通以前業務・宗教(社寺参詣等)的=徒歩内航海運:北前船、菱垣廻船近代交通の黎明幹線鉄道網の整備・国有化道路制度(国道・県道・里道)市内交通:馬車・人車→路面電車成熟・発展期(戦時十数年の中断あり)主要鉄道網が列島縦断バス路線網が熟成・発展整備・増強・再編期航空機の利用急増新幹線・高速道路網の整備路線バス・ローカル鉄道の盛衰道路改修・自家用車の普及競争・見直し・ゆとり期航空・道路交通の拡充新幹線建設促進、楽しむための移動国鉄など交通業界の民営・分社化ローカル輸送の個別対応各期を特徴づける新たな交通機関や施設五畿七道、五街道・脇往還地図の作成=伊能忠敬松尾芭蕉「おくのほそ道」汽笛一声、食堂車・展望車大手私鉄が都市近郊へ電車社寺・仏閣参詣の交通バス・タクシーの生誕・黎明急行列車の増発と愛称ケーブルカー・ロープウェー(山岳参詣・登山)国立公園・自然公園(広域自然観光)有料道路・スカイライン新幹線、航空交通(旅客機)日本列島改造、ディスカバージャパンブルートレイン→電車特急長距離バス(昼間一般道→夜行・高速)ワンマンバス・廃止代替バス地方空港整備、格安航空(LCC)青函トンネル・瀬戸大橋、豪華列車高速・ツアーバス、SL・トロッコ列車観光周遊バス、コミュニティバスデマンド交通、バリアフリー交通を支える用語・キーワード宿場、東海道五十三次参勤交代・大名行列旅籠、風待ち港・河岸旅行案内・錦絵・鳥瞰図駅弁・駅前旅館温泉案内=湯治・サナトリウム内国勧業博覧会・共進会時刻表、ガイドブック、絵葉書・栞観光地を周遊(周遊指定地)スーツケース・赤帽遊覧バス・バスガイドジャンボジェット機・スチュワーデス「夢の超特急」・みどりの窓口周遊券、整理券、道路渋滞ドライブ(イン)・レンタカー・フェリーオート三輪→ライトバン→ハッチバック新幹線「のぞみ」、アテンダント並行在来線、第3セクターグランクラス、駅からハイキングE V車、ワンボックスカー道の駅・サービスエリア・日帰り温泉・記載事項は、概ね各期とも上から長距離高速交通から生活交通の順・区分や期間、上枠は目安としての事項であり、主要傾向や新たに登場したものを記載した各種の文献や図録、パンフレット、時刻表、インターネットの用語解説(W i k i p e d i a等)などを参照して筆者作成交通に関わる社会情勢の変化通信・荷物の輸送など鎖国→開国・不平等条約・明治維新外国人が日本を紹介飛脚、駅逓、郵便馬車富国強兵・殖産興業お雇い外国人・高官の避暑・別荘詩人が全国を歴訪ラジオ、郵便・鉄道手小荷物集団就職・観劇・観戦の交通充実関東大震災→バスが生活・観光に機能テレビ、交換手を介した電話有線・電報・タイプライター高速・大量輸送の追求高度経済成長→オイルショック・不況公共交通利用の減少と輸送格差核家族化・家庭電話、カラーテレビF A X、ワープロ、クレジットカードバブル崩壊・規制緩和・格差社会少子高齢化、インバウンド環境に優しい・持続可能パソコン・スマホ・電子メール通信販売、宅配便、I Cカード年に京都や広島で開業したのが国内では最初とされる。タクシーは、1912年に有楽町に設立された会社が、メーターを搭載したT型フォード6台でスタートした。いずれも、当初は需要自体がまだ少なかった上、個人経営者が競って客引きや運賃値引きを街頭で行なうなど、まだ制度が安定した事業として成り立たず、成長したのは関東大震災(1923年)以降だったといわれる。第3期は、全国的に幹線鉄道網が形成され、大手私鉄も近郊への路線延長と積極的な沿線の観光開発を手懸けるようになった。道路整備に伴って路線バスも拡充され、観光地を巡る遊覧バスも走り始めた。山間・渓谷地域では、国立公園などの制度が制定され、ロープウェーやケーブルカーが各地で開業し、山頂近くまでの社寺参詣や湯治が容易にできるようになった。第二次世界大戦前後十数年間の交通発達や観光開発は休止した。しかし筆者は、長期的スパンで見ると、交通発達の基調は1960年代まで継続したと考えて、表1の時期区分では、成熟・発展期として捉えた。日本の交通網整備は、明治初期から鉄道主導で進んだため、道路は、戦後の高度経済成長期初期にはまだ劣悪だったと言われる。筆者の経験でも、1960年前後は、主要国道でも未舗装区間が多く、大型のトラック写真1 京都市電の前身ともいえる1895年に開業した京都電気鉄道のN電(2018年3月、梅小路公園市電のひろばにおいて蓄電池で保存線を運行している)やバスが砂煙を上げながら水溜りや轍を苦戦しながら走行していたのを思い出す。幅員も狭く、対向車が来ると、片方が待ってすれ違うのが当たり前だった。道路整備が遅れていた1960年代前半頃までは、鉄道のない地域において、国民の主要移動手段は路線バスだった。高度経済成長に伴う都市と農村部の交流が盛んになったことや、高校進学率の急増などにより、車両は大型化してその輸送人員は急増し、路線網や運行本数、運行時間帯などは大幅に拡充された(図1)。Civil Engineering Consultant VOL.280 July 2018013