ブックタイトルConsultant280

ページ
16/78

このページは Consultant280 の電子ブックに掲載されている16ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant280

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant280

1203694500(億人年)(万キロ)(免万両車)事間許両業輸キ数者員送ロ数100288030002056020004012年間輸送人員免許キロ車両数事業者数208210004019301940195019601970198019902000年度2009・1965年頃がピークで徐々に減少するが、減少傾向は大都市圏以外で顕著・事業者数は規制緩和に伴い倍増している・免許キロの1980年代と2000年頃の急増は高速バスの開業が要因と考える・輸送人員減少の割に車両数は横ばいであり、走行キロはあまり減らずに、すいているバスが増えていることが考察される『日本のバス事業』(日本バス協会、年刊)などを参照して筆者作成図1日本の乗合バス輸送事情の変遷をS字カーブしながら登坂し、短いトンネルで山越えする線形を採っていたため、補助機関車を連結して走る区間や単線でスイッチバック構造の駅も多い輸送の隘ろ路となり、急行列車でも、現在の普通列車より所要時間は長かった。当時の旅行や出張は一大イベントで、手荷物を別便で送り(チッキ)、主要駅には荷物を運ぶ赤帽が常駐していた。長距離の旅程は、駅弁や夜行列車と付き合って、緊急業務が生じると電報を打つなど、鉄道旅行は情緒に富んでいた(図2)。あい写真2 主要幹線を走る長大旅客列車(1975年頃、東北本線南仙台付近、当時の客車はデッキ付の手動ドアであり、朝の混雑列車はデッキにぶらさがって乗っている人もいる)鉄道は、全国をくまなく網羅するまでに拡大し、各地の産業発達を支えた必要な原材料や製品はもちろん、第二次世界大戦中には軍事輸送に威力を発揮してきた。また、主要幹線でも単線区間が多く、列車本数が制約されていたため、急行・普通列車とも機関車が長大な客車を牽引して、旅客の需要に対処していた(写真2)。そして、国土の山がちな地形に沿って建設され、沢伝い第二次世界大戦後の高度経済成長からバブル時代(第4期)の交通手段の再編1960年代以降、高速道路の相次ぐ開業も含めて、道路事情は急速に改善され、国民所得の向上や技術革新も相まって、自動車交通が発達した。自家用車は、時間に拘束されない上、プライバシーを保てる移動空間を可能としたのが、普及の大きな要因だったと考える。バスは、自家用車の普及などにより、路線バス部門は衰退したが、国民生活の向上に伴って観光旅行が増えて貸切バス部門が成長した他、高速バスが拡充されていった。014Civil Engineering Consultant VOL.280 July 2018