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写真2施工中の橋脚写真3施工中の中央径間部を見越して設計を変更した4代目忠節橋の第三次計画が、改めて進められた。この計画は、下部工は第一次計画で施工されていたものをそのまま用い、上部工は鋼製のゲルバー式ブレースドリブタイドアーチで設計された。ゲルバー式ブレースドリブタイドアーチとはカンチレバーブレ写真4忠節橋の銘板ースドリブタイドアーチとも呼ばれている。中央径間の両側に腕を伸ばしたような桁を張り出し、中央径間で左右の桁を支持している。このような構造をカンチレバー(片持ち梁)構造もしくはゲルバー構造という。両サイドに張り出した左右の側径間の桁自重(荷重)に対して、中央径間の桁自重がカウンターウェイトとして働き、力がうまくバランスするようにしている。この形式は長い径間の橋梁に適している。また中央径間部はタイドアーチと呼ばれ、アーチ端部を引張部材(タイ)で結ぶ、弓と弦のような形状にして力学的に安定した構造にしている。ブレースドリブアーチはアーチ部材にトラスを用いたものである。トラスとは三角形を基本とする、その集合体で構成する構造形式である。忠節橋ではアーチ部材の構成にトラスが用いられている。設計者や選定理由は不明であるが、同形式の橋として最大支間長79mの東京都の白鬚橋や、91mの北海道の旭橋がすでに建設されており、80mの忠節橋はこれらを参考にして選定したのではないかと思われる。当時の旭橋は鉄道道路併用橋であり、同様の併用橋として参考にしやすかったのではないだろうか。写真5ブレースドリブアーチのトラス部時期に工事を再開したのは、敗戦で消沈した人々の心を興起するためと、巨大で見栄えの良い鋼橋を造ることにより国土の復興を印象づけるという狙いもあったのであろう。写真6無骨な表情を見せる忠節橋■再開した忠節橋建設建設資材調達の見通しがついた1947(昭和22)年11月、第三次計画による上部工の施工を開始した。戦後間もない写真7上流側左岸から見た忠節橋046Civil Engineering Consultant VOL.280 July 2018