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600500協400会会員数300(社)2001000設立40 45 50 55 60平成元5 10 15 20 25 29(年)図1公共投資の変遷(出典:財務省『財務統計』より作成)図2建設コンサルタンツ協会の会員数の変遷それから徐々に持ち直して、現在の会員数は475社になりました。建設コンサルタント事業の80%ぐらいを担っています。六鹿●私はアメリカに留学して建築と都市計画の両方を勉強し、そのあとニューヨークで1年半、都市計画、都市デザインの実務につきました。帰国後槇文彦さんの事務所にしばらく置いていただいたあと、今も所属している株式会社日本設計に入りました。会社に約40年在籍しているうち前半20数年は、プロジェクトに直接具体的に関わってきました。初期の頃は単体の建築も手掛けましたが、ある時期からは圧倒的に複数街区の再開発プロジェクトや設計、計画に携わってきました。今は、プロジェクト・マネジメントよりも組織マネジメントのほうに軸足を置いています。日本建築家協会は、基本的には建築家個人で会員になります。実際の歴史は132年ありますが、今の日本建築家協会の形になったのが31年前の1987年で、その歴史の中で紆余曲折を経て今に至っています。会員は、日本の人口減少を反映して若干漸減傾向にあります。その時々のタイムリーな建築家の課題にいかに取り組むかに注意を向けながら、会員の数にかかわらず、中のエネルギーレベルが高いことが大事なので、そちらに意識を向けながら活動しています。土木・建築融合の必要性六鹿●今まで私が手掛けてきたプロジェクトで、土木と建築の兼ね合いの中で衝撃的だったものは、2003年に関わったあるウォーターフロントの開発です。最初に東京都の区画整理事業があって、確定された区画ごとに事業コンソーシアムの入札にかける形で開発が行われました。最終的に私たちはB街区という東京湾側から1つ内側の街区の設計をしました。計画段階では何の疑問もなく、海がきれいに見えるものだと思っていたのですが、ある時に運河側のA街区を手掛けた企業が、もともとの案とは全然違う、三角形の細長い街区をいっぱいに使った全く別の設計案を出してきたのです。その結果、私たちのB街区から海がほとんど見えなくなってしまいました。それぞれが自分たちの街区に最大の恩恵をもたらすようなデザインにしようとするのは当然ですが、極めてショックでした。最も合理的な道路形状をもとにして区画整理がされています。海の景観に対して直交する形に道路が引かれていれば、建物もそれに沿って建つので、いくら建物が前にあっても道路に沿って透けて海が見えるところが少しはあったはずです。これは、土木と建築のエリアが、それぞれ別々の次元で部分最適を目指すからであって、総合的に考えられていないのが原因なのかと思い至りました。もし道路パターンをつくるときに、立体的な建築群の形状も同時に考えながら大きな1つの総合的な街として計画されていればと思うと、とても残念でなりません。村田●手続き上、都市計画決定があって初めて街路が決まりますが、私権の制限の問題もあり、その情報はなかなか外に出ていきません。六鹿会長がおっしゃるように、もともとの街区の設定があって開発をせよというときに、本来はアクセスする道路についても、計画の中に一緒に取り込むような格好で考えていくべきだと思います。六鹿●そうなると、大きい意味でのまちづくりがだいぶ変わってくるかもしれません。都市計画という、曖昧だけれどすごくカバーするエリアが大きくて、力を持った分野の中に、土木も建築も本当は入ってしまいます。再開発事業では基本的に、中にどういう道路をつくるかも全部、最初の計画段階で決めます。私は虎ノ門ヒルズの再開発にも関わりましたが、そこでは再開発事業と道路事業の両方を成り立たせたいという気運をうまくCivil Engineering Consultant VOL.280 July 2018003