ブックタイトルConsultant281

ページ
12/62

このページは Consultant281 の電子ブックに掲載されている12ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant281

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant281

写真2草千里ヶ浜写真3中岳の湯だまり後も活動を繰り返して現在に至っているが、その岩石は玄武岩から流紋岩まで広い化学組成をもっており、そのために火山の構造や形態もさまざまで、活動史も大変複雑である。たかのおば例えば、京都大学火山研究センターが建つ高野尾羽ね根火山は、黒雲母流紋岩からなる溶岩ドームである。輝石デイサイトの草千里ヶ浜火山は直径約1kmの火口をもつ、溶結した軽石丘であり(写真2)、約3万年前に大規模なプリニー式噴火(大量な軽石・火山灰を放出する大規模な爆発的噴火)を起こし、周辺地域に多量の軽えぼしだけおかまどやま石を堆積させている。烏帽子岳と御竈門山は輝石安よみねやまわしがみねならお山岩からなる成層火山である。夜峰山、鷲ヶ峰、楢尾だけたかだけ岳、高岳はかんらん石輝石安山岩~玄武岩からなる成層火山であり、頂上付近には溶結したスパター(火口から放出された粘性の低いマグマのしぶきがそのまま液体として定置したもの)や多量のアグルチネート(スタパーが着地時に直ちに溶結して、塊状溶岩に似た形状を呈するもの)が認められ、山麓には溶岩流が存在している。じゃのおきしまだけおうじょうだけこめづか蛇ノ尾、杵島岳、往生岳、米塚は輝石かんらん石玄武岩のスコリア丘である。杵島岳と往生岳では、それぞれ約4,000年前と約3,000年前に多量のスコリアを噴出する準プリニー式噴火が起こっている。中岳の活動有史以降においては、中央火口丘群のなかでは主に中岳が活動を繰り返しているが、7世紀に書かれた『隋書倭国伝』にも阿蘇火山の活動について記載があるなど、古くから広く知られるとともに、多くの人々と深い関わりを持ってきた火山である。中岳は3重の構造をなす成層火山で、そのマグマは玄武岩質安山岩~玄武岩質であり、約25,000年前以前から活動していた火山であることが明らかとなっている。中岳からの溶岩流出は約25,000年前よりやや新しい時期と約4,800年前の2回あったことが明らかとなっている。歴史時代の活動については、6世紀中頃にやや規模の大きいと判断される噴火活動に関する記事があり、その後8世紀末から9世紀末頃まで、火口の異常らしい記事が並ぶが、その後13世紀中頃までの約360年間は記録が見られない。以後はほぼ連続して活動記録が残されており、中岳が連続的に活動を続けてきたことがわかる。歴史時代には少なくとも大きく3つの火口があったことが伺え、それぞれが火口湖を形成し、活動を繰り返してきたものと考えられる。最近80年ほどは一番北側の第1火口が活動を繰り返している。第1火口の活動は、おもに玄武岩質安全岩(SiO2:52%)のマグマであることや火口の地形などにより、従来から次のような活動の特徴が指摘されてきた。ここ数十年の活動では、おおよそ以下のような活動を数年から十数年周期で繰り返している。・穏やかな時期には第1火口底に雨水などが流れ込んで湯だまり(火口湖)をつくる(写真3)。・活動が活発化していくときには地下からの火山ガス放出とともに、湯だまりのお湯や土砂を同時に噴き上げる土砂噴出が見られ、同時に湯だまりの水位がさがり、最終的には火口底が乾燥、露出する。010Civil Engineering Consultant VOL.281 October 2018