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第2回道明寺桜餅の起源道明寺桜餅は、餡に砂糖を加え、蒸した道明寺粉でくるみ、さらにその外側を塩漬けした桜の葉で巻いたものである。菅原道真が九州太宰府に左遷された後、伯母の覚寿尼は道明寺にて毎日ご飯をお供えしていた。人々は供え終わったご飯を食べようとしたが、乾燥したご飯は生米よりも硬かった。これを有難く、美味しく食べるにはどうしたらよいかと試行錯誤し、生まれたのが道明寺ほしい糒だとされている。道明寺糒の特徴は純粋のもち米だけを使い、寒中30日間に限って作られるため、10年以上たっても変質しないという点である。その性質から携帯食、保存食、兵糧として非常に優れたものであった。品質の良さは、1900(明治33)年のパリ万博で金賞を受賞していることからもうかがうことができる。保存面だけでなく風味の良さもあり、現在では和菓子の材料としても使われるようになった。洪水に悩まされる藤井寺の村々は大阪府藤井寺市は、羽びき曳の野丘陵の北端のほぼ平坦な土地に位置している。藤井寺市北東部の低地にあった道明寺等の村々は、昔から大和川や石川の大洪水に悩まされていた。これに対し、村庄屋たちが大和川と石川の合流点から新しい水路を造り、川水を海に放流する計画を立てたが、新川の予定地の村々からの反対が強く、長年実現するには至らなかった。しかし、1683(天保3)年に幕府が治水の必要性を認め、水源調査をはじめとする大規模な実地調査に乗り出した。1703(宝永元)年2月から工事が開始され、10月に新大和川が開通した。しばらくは穏やかな流れを見せた大和川だったが、1716(正徳6)年6月、石川との合流点の堤が決壊し、村々はたちまち冠水した。「食から見る地域」は、郷土色ゆたかな日本各地の「食」について、その文化的・自然的背景を知ることで、より深く味わっていただくコーナーです。032Civil Engineering Consultant VOL.281 October 2018