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1.従前の状況14.54山側車道54.5440.00運河海側2.昭和41年計画案山側54.543.75 10.50 0.75 10.00 0.75 10.50 3.75 14.54歩道車道車道歩道緑地海側3.昭和55年計画の変更山側3.0歩道10.50車道1.510.504.05.519.54車道運河散策路海側写真4小樽市指定歴史的建造物の旧大家倉庫図2道道臨港線と運河の断面の変遷た有幌地区まで至った。道路建設のために石造倉庫を含む歴史的建造物が次々に取り壊されていき、市民は「このままでは運河や石造倉庫群がなくなってしまう」という事実に気づく。運河や石造倉庫群を守るために一部の市民が立ち上がり、1973(昭和48)年に「小樽運河を守る会」が発足した。守る会の主な主張は「1市民共有の文化遺産である運河と、その周辺の歴史的建造物を保存してほしい」「2運河の水をきれいにし、倉庫群も再利用を考えるなど、産業の振興や観光の拠点として蘇らせてほしい」「3道道臨港線には反対ではないが、運河を避けた機能的な代替ルート案を提案するので再検討してほしい」というものだった。この保全運動は、単なる道路建設反対運動ではなかった。市民も市内の交通渋滞への問題意識写真5小型船舶の停泊所になった北運河があり、道路建設の必要性は理解していた。それ故、運河や石造倉庫群の保全と道路建設の両立という選択肢を検討してほしいと訴えた。守る会は度々、市や市議会へ陳情を行い行政に訴えるだけでなく、「ポートフェスティバル」というお祭りを運河周辺で開催したり、運河の歴史などをレクチャーする講座を開くなど、道道臨港線建設が他人事ではなく、自分たちが考えるべき問題であることを市民に認識してもらい、運河に再び興味と親しみを持ってもらおうと、精力的な活動を行っていた。道及び道議会、時には国会でも運河論争について取り上げられ、全国紙に載ることもあった。札幌や東京でも運河保存を訴える団体が組織されるなど、市内だけでなく、全国的に注目を集めた。運河保存の気運が高まる一方で、守る会と小樽市との議論は平行線を辿ったまま数年が経った1979(昭和54)年、市から道道臨港線の変更案が提示された。当初案は運河を全面的に埋め立てる計画だったが、変更案は運河幅を元々の40mから20mに狭めるものの残し、運河沿いに散策路を設けるというものであった。これは1975(昭和50)年の文化財保護法の一部改正や、全国的に歴史的環境の保全の気運が高まったことを受けたもので、運河やその周辺環境に配慮した計画である。一見、守る会の訴えを受け入れた折衷案のように見えるが、守る会の訴えはあくまでルート変更であり、それは最後まで聞き入れられることはなかった。だが、長年に渡る市民運動があったからこそ、時代の流れを味方に付け、完全ではないが運河を守ることに結びついたのだろう。012Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019