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その後、変更案による都市計画変更が採択され、1983(昭和58)年に運河改築工事が開始され、10年にも及ぶ運河論争は1989(平成元)年3月、道道臨港線の完成をもって幕を閉じた。■「小樽らしさ」とは何か今日の小樽の姿は、運河論争がもたらしたものと言っても過言ではない。それは、運河や歴史的建造物を守ったということだけでなく、人々を惹きつける観光地として生まれ変わったことに対しても言えること、である。運河論争は、市民に「小樽らしさ」とは何かを問い直す契機となり、それまで放置してきた運河や石造倉庫こそが、小樽の歴史を今に、後世に語り継いでいく貴重な街の財産であり「小樽らしさ」を形づくるものだという認識を、市民全体が共有するきっかけとなった。自らの手で街を守り、作っていこうという意識が市民の中に生まれ、また行政も歴史的景観の保全やまちづくりに力を入れ始め、市民と行政の協同体制が出来ていった。また、運河論争が全国的な広がりを見せたことにより、小樽の知名度は一気に向上した。全国から観光客が集まるようになり、小樽は意図せず一大観光地となった。現在では海外からの観光客も多く訪れる国際的な観光都市である。写真6ライトアップされた運河と石造倉庫■後世に受け継いでいくために現在の運河は道道臨港線と並行して走る運河幅20mの南運河と、運河が出来た当時の面影を残す運河幅40mの北運河からなり、運河沿いには散策路が設けられている。今は港湾施設としての機能は担っておらず、観光用のクルーズ船が運航するほか、北運河は小型船舶の停泊に利用されている。昔は生活排水が流れ込んでおり、管理もあまりされていなかったことから、悪臭を放つほどに水質が悪化していたが、現在は下水道が整備され、生活排水を運河へ流すこともなくなった。また、水の流れにより運河や接続する河川に溜まってしまう土砂を、年に1度、水をせき止めて取り除くことで、運河をきれいな状態に保っている。運河や歴史的建造物をこれからの時代に受け継いでいくために、運河では数年おきに目視点検を行い、対策写真7観光客で賑わう運河と道道臨港線工を計画し、必要に応じて修繕が行われている。歴史的建造物については市で景観条例等を定め、外観の形態や素材、色彩など、創建当時の姿を損なわないような制限があるが、一方で、文化財指定の建造物以外は建物の内側の改変も行うことが出来、かつて倉庫だった建物がレストランや土産物屋になっていたりする。近年、建物の老朽化や、持ち主の不在によりやむなく取り壊されるケースもあるが、空き店舗を利用したいという民間事業者も多いという。民間主体によるまちづくりだけでなく、行政によるしくみの整備や維持管理も、今の小樽を支えている。運河沿いの散策路を歩いてみると、運河の歴史を語るポケットギャラリー、運河を横断する浅草橋や中央橋にはポケットパークが設けられ、散歩やジョギングを楽しむ地元の人たちや、景色を楽しんだり写真を撮ったりする観光客で賑わっている。夜になると、散策路に設置されたガス灯の灯りに照らされ、幻想的な光景が広がる。ここを訪れる人の大半は、かつて運河が消失の危機にあったことを知らないだろう。時代の流れにより形が変わるものもあるかもしれない。しかし、運河がそこにあり続ける限り、市民にとっての「小樽らしさ」は失われることなく、小樽は魅力的な街であり続けることだろう。<参考資料>1)『小樽運河再生と臨港線建設』小樽市土木部2)『図説日本と世界の土木遺産』五十畑弘2017年秀和システム3)『小樽運河戦争始末』小笠原克1986年朝日新聞社4)『町並み保存運動の論理と帰結小樽運河問題の社会学的分析』堀川三郎2018年東京大学出版会5)『小樽市の景観行政について』小樽市建設部まちづくり推進課2018年6)「小樽市ホームページ」(https://www.city.otaru.lg.jp/kankou/miru_asobu_tomaru/kankosisetu/otaruunga.html)<取材協力・資料提供>1)小樽市産業港湾部観光振興室/港湾室/建設部まちづくり推進課<図・写真提供>図1参考文献4)図2参考文献5)P10上塚本敏行写真1、2小樽市写真3、6、7飯塚理恵写真4髙橋真弓写真5佐々木勝Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019013