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Nagoya City Performing Arts Studio (formerly Inabaji Water Tower) brings to mind an ancient Greek templeギリシャの神殿を連想させる「名古屋市演劇練習館(旧稲葉地配水塔)」愛知県名古屋市特集土木施設の転用Special Features / Conversion of civil engineering facilities名古屋市演劇練習館アクテノン基礎地盤コンサルタンツ株式会社/技術本部/物理探査部佐々木勝(会誌編集専門委員)SASAKI Masaru■パルテノン神殿のような円柱構造物白い円筒状の巨大な構造物の周囲を円柱が一定間隔で取り囲む。圧倒的な存在感を醸し出すこの構造物はまるでギリシャのパルテノン神殿を連想させる。住宅街の公園の中にそびえ立つこの構造物を果たして初見で何の施設なのか分かる人がいるのだろうか。この構造物は名古屋市演劇練習館という、演劇練習いなばじ専用の施設である。名古屋市の西部、中村区の稲葉地公園内にあるこの建物は、もともとは稲葉地配水塔という水を送るための施設であった。配水塔とは高い位置に水槽を設置することにより、送水する際に十分な水圧を与えるための施設である。稲葉地配水塔は鉄筋コンクリート製で高さ29.47m、水槽の直径33m、水槽容量3,930m 3の配水塔であり、1937(昭和12)年に建設され、1944(昭和19)年にその役割を終えている。その後、図書館を経て現在は演劇練習館として使われ、「アクテノン」という愛称で地域のシンボルとして市民からも親しまれている。2度の転用を経て現在に至っている名古屋市演劇練習館であるが、ここで一つの疑問が生じる。当初の役割である配水塔としては約7年しか稼働していない。なぜわずか7年で配水塔の役割を終えたのだろうか。■急激な人口増に対応名古屋市の近代水道の歴史は100年以上前まで遡る。濃尾平野を流れる木曽三川の一つである木曽川から取水して沈澱池、浄水場を経て東山配水池へと運ぶ計画を、1908(明治41)年に国から認可を受けた。1910(明治43)年着工し、1914(大正3)年に完成して給水を開始した。その後も給水需要を満たすため拡張事業は継続して行われ、1925~1929(大正14~昭和4)年度に行われた第3期拡張事業では、高台の水圧不足に対応するため東山配水塔(現東山給水塔)が造られた。東山配水塔は鉄筋コンクリート製の容量313m 3、高さ022Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019