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写真1 東山給水塔(旧東山配水塔)写真2配水塔の基礎工事。おそらく木杭を打設している写真3建設中の配水塔37.85mの配水塔である。給水人口100万人を目標とした第3期拡張事業であったが、名古屋市の人口は増加の一途をたどり、将来の市の発展に適応させるためには十分でないと考えられた。そこで人口150万人を目標とした第4期拡張事業が1928(昭和3)年に計画され翌年着工した。この事業の一端として、当時の名古屋市の東端にあった東山配水池から遠い名古屋市西部の水圧低下を防ぐため、稲葉地配水塔が計画された。稲葉地配水塔の設計者は当時名古屋市の技師であり、東山配水塔の設計も行った成瀬薫である。当初の設計は容量590m 3で東山配水塔を拡大したような形状であった。しかし地域の発展が目覚ましく、使用水量の激増が予想されたため、水槽の容量が3,930m 3に変更された。容量が7倍近くも大きくなった水槽を支えるために16本の補強柱を円周上に設置したため、パルテノン神殿を連想させるような特徴的な外観となった。そして稲葉地配水塔は1937(昭和12)年5月31日に竣工した。稲葉地配水塔は、水道使用量が少ない夜間に配水管の水圧を利用して高架水槽へ揚水して、昼間は自然流下で配水を行った。の計画を認可申請したとき、即ちまだ稲葉地配水塔が完成する前に、稲葉地配水塔は不要になることが決まったのである。それではなぜ配水塔を不要にするような拡張事業を行ったのだろうか。一つは予測を超える人口増加に対応するためである。1937年に周辺町村の編入により名古屋市の人口は120万人に達し、人口において東京、大阪に次ぐ第3の都市となった。前年に第4期拡張事業は一部を除き完成したが、事業計画を立てた当時の予想をはるかに上回る市勢の発展は、数年後には給水量が不足することは明らかであった。そのため1日最大給水量50万m 3を目標として、既設施設の23万8,000m 3の不足分を補うための給水施設を計画することとなった。もう一つ、戦時体制に向けての軍部からの要請もあった。名古屋市南部には軍需工場が多く、水が不足することはあってはならないため、水道施設の整備は急務であった。このような理由により水道施設の拡張が行われ続けた。需要急増に対応するための施策が最優先だったのだろう。こうして稲葉地配水塔は配水塔としての運用を■配水塔としての役割の終わり1944(昭和19)年、第5期拡張事業による周辺区域の配水管増強が完了した。これにより稲葉地配水塔の役割は終了した。第5期拡張事業は1937年3月に認可申請している。この拡張事業では稲葉地配水塔からほど近い位置におおはる大治浄水場(1946年に半完成)を新設し、1日最大給水量26万2,000m 3をポンプ圧送給水する計画になっている。これが何を意味するかというと、第5期拡張事業写真4稲葉地配水塔竣工Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019023