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図1可動堰(●)位置図具体的には、堂島川と土佐堀川に可動堰を設けて大川筋の水位を高め、東及び西横堀川に大川の清浄水を導水し、長堀川、道頓堀川、江戸堀川、京町堀川にも可いたち動堰を設けて、高津入堀川、難波新川、鼬川などの末端の枝川にも流水を分配しようとしたものである。その中の堂島川可動堰が現在の水晶橋なのである。1914(大正3)年9月、枝川水利調査委員会で「枝川導水計画」が作成され、1924(大正13)年12月に市会議決を経て、翌年11月に当時の内務省へ出願し、1926(大正15)年3月に施工許可を受け、実施されることとなった。■可動堰の建設工事の財源は、1916(大正5)年以降の河川改修工事の結果不用となった旧曳船道や、その他の土地売却代金を当てる計画で、年々財政上の実情に適応し、各年度の支出金額を定めるものとされ、堂島川可動堰は1926(大正15)年6月に起工し、1929(昭和4)年3月に完成した。可動堰の扉は開閉操作が容易であることや、回転することで門の上げ下げが可能で開閉時間の短いこと、及び堰の外観上の点などが考慮され、テンターゲート式が採用されている。また、アーチ型の鉄骨鉄筋コンクリート造りの歩道橋を架設し、扉を橋下に取り付け、開扉時には扉本体が橋床下に完全に隠れ、一見コンクリートアーチ橋にしか見えないようになっている。幅15.15m(50尺)、高さ4.24m(14尺)のテンターゲート3径間分を並列に設置し、橋脚は厚さ3.03m(10尺)、幅13.78m(45尺5寸)で計画された。アーチリブ2本を架設し、上部をI型鋼にして連結し、鉄筋コンクリートの床を張り、床下に扉の入る部屋を設けた。テンターゲートは開閉を容易にするため、ゲート重量とつりあうカウンターウェイトが装着され、開閉は1~2分で行えた。各ゲートを操作する操作室は装飾灯の台座の中に隠された。こうしたゲートや操作室を見せない構造を採用した理由は、中之島全体の水辺景観を考慮してのことである。また、扉閉鎖中は船舶の運航が出来ないため、比較的通行量の多かった堂島川可動堰には、航行のための閘門が併設された。堂島川可動堰は工学博士の岡部三郎が設計したと言われているが、大阪市建築課所属であった伊藤正文がデザインとともに設計した、または中之島の橋梁設計は武田五一を中心に行っていたとする意見もあり、設計写真1河川内から望む建設当時の堂島川可動堰写真2橋詰から望む建設当時の堂島川可動堰Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019027