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満潮時引潮時図3東横堀川水門と道頓堀川水門による浄化のしくみ堰を閉め、大川の浄化用水を出来るだけ土佐堀川へ流して、土佐堀川の浄化も図る。しかしこの時、堂島川可動堰は東横堀川水門を使用すれば、堂島川へ寝屋川の汚水が流入することがなく水質浄化が行えることが判明し、必要性がなくなっていった。堂島川可動堰の役目が終わったのである。現在、東横堀川水門は改築され、道頓堀川可動堰は水門として下流に移設されたが、方法は変わっていない。写真3 台座の中に操作室を設けた装飾灯■水晶橋として堰としての役目を終えた堂島川可動堰であったが、もともと、堰の上は幅員9.4mの広い歩道橋となっており、車が通行できないことで快適空間であるとして多くの方々に利用されていた。そのため、撤去されることなく利用が続いていた。しかし建設後50年以上が経過し、汚れや傷みが生じていたため、1982(昭和57)年3月から改装工事を始め、同年10月に完成した。汚れていた高欄や壁面はクリーニングし、階段部や橋上の装飾灯は補修され、鮮やかな橋の白さとクラシックな装飾灯が、すばらしいコントラストで水面に映えるようになった。また、従来アスファルト舗装であった橋面は、花崗石と花崗擬石で敷き直され人々が楽しく歩ける工夫がなされ、憩いとやすらぎの広場として利用されるようベンチ代わりの植栽枡等も置かれた。さらに、堂島可動堰から「水晶橋」と名付けられた。しかし、その理由ははっきりしていない。水面に映る様子が水晶の輝きに似ているからという説や、水都大阪の「水」と繁昌の「昌」の字を組合わせたという説等がある。橋として生まれ変わった水晶橋は、今も中之島になくてはならない存在として人々に愛されている。ちなみに、不要となった可動堰本体が撤去されるのは2002(平成14)年になる。写真4ライトアップされた水晶橋また、「光の首都大阪」のシンボルである中之島を中心に行われている光のまちづくりとして、水晶橋も毎日ライトアップされている。アーチ部分を強調するようにライトアップされ、「夜の水晶橋も美しい」と評判である。周辺の水辺環境も整備されており、水晶橋を眺めながらゆっくりと時を過ごすことも出来る。謎の多い水晶橋を一度訪れてみるのはいかがだろうか。<参考資料>1)『大阪の川』大阪市建設局2004年2)『大阪の橋』松村博1987年松籟社3)『橋梁総覧』大阪市土木部1931年4)『大阪市土木建築工事画報』第3巻第5号1927年工事画報社<取材協力・資料提供>1)大阪市建設局道路部橋梁課/下水道河川部河川課<図・写真提供>図1参考資料1)より図2、3、写真1、2大阪市建設局P26上佐々木勝写真4髙橋真弓写真3塚本敏行Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019029