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Tonoo Market district“Tonneru Yokocho (tunnel shopping arcade)”tells the story of the changing face of Sasebo佐世保の変遷を今に伝える戸尾市場街「とんねる横丁」長崎県佐世保市特集土木施設の転用Special Features / Conversion of civil engineering facilitiesとんねる横丁株式会社建設技術研究所/東京本社/地球環境センター細谷州次郎(会誌編集専門委員)HOSOYA Shujiro■防空壕を利用した店舗とのお「市場」が「街」を形成する長崎県佐世保市の戸尾市場街には「とんねる横丁」と呼ばれている場所がある。JR佐世保駅にほど近い60m程度の通りに沿って、約15店舗が軒を連ねる。店舗は戦時中の防空壕だったトンネルを利用しており、名前の由来が偲ばれる。とんねる横丁は高台の下部にあり、上部は明治期より学校施設として利用されてきた。戦後は戸尾小学校となったが、2001(平成13)年3月に他校との合併で閉校し、2006(平成18)年以降は佐世保空襲資料室等として利用されている。一見すると普通の市場であり、とても防空壕を利用しているようには見えない。防空壕は、専門家ではない市民が掘ったと思われる横堀となっている。なぜ、そのような防空壕を店舗利用するに至ったのであろうか。■急速に発展した明治の佐世保1886(明治19)年、富国強兵を図る日本は、東アジアへの進出の拠点地となる軍港と鎮守府(旧日本海軍の拠点となる高等司令部)を佐世保に設置することを決める。明治維新までは半農半漁の村であった佐世保で、軍港と市街地の造成が急ピッチで進んだ。現在の碁盤のような市街地はこのとき計画されたものである。その範囲は佐世保川に沿って、南はとんねる横丁が位置する戸尾町付近から、日本一長い直線でつながったアーケード(約960m)で結ばれた三ヶ町商店街・四ヶ町商店街、佐世保市役所を抜け、北は松浦鉄道の北佐世保駅近くの俵町までとなっている。軍港建設を契機に、技術者や労働者をはじめとする様々な人々が佐世保に流入し、人口は1886(明治19)年の4,111人から急増する。1902(明治35)年4月の佐世保市制施行時は45,766人であった人口が、年末には50,968人を記録している。鎮守府開庁の決定以降、市030Civil Engineering Consultant VOL.282 January 2019