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欽也と朱美が車に乗るように勧める。勇作は夕張で炭鉱夫をしていた時に起こした事件を話す。スーパーで働いていた光枝(倍賞千恵子)を好きになり結婚し幸せな生活をしていた。妊娠した光枝は重い物を持ったことで流産してしまう。そのショックで勇作はやけ酒を飲む。そして、道で肩が当たったチンピラと喧嘩になり、殺してしまう。刑務所に面会に来た光枝に離婚するように告げる。勇作は自身の激高し易い性格を嘆いた。勇作は出所した直後に「もし俺を待っていてくれたなら、庭の竿の先に黄色いハンカチを結んでくれ、ハンカチがないとき、俺は黙って夕張を去っていくから…」と書いたはがきを出したことを話す。それを聞いて欽也と朱美は夕張について行くことにする。写真5北海道指定天然記念物「石炭の大露頭」夕張に近づくと動揺した勇作が「ハンカチを確かめる勇気がない」と言い出し、欽也と朱美が車から出て家を探す。すると、欽也が指し示す先に、黄色いハンカチが何十枚も風に揺れていた。勇作と光枝が再会し家の中に入って行く。欽也と朱美は感激して抱き合いキス。黄色いハンカチが風にはためくシーンで幕が下りる。■夕張市1874(明治7)年にアメリカ人地質学者ベンジャミン・スミス・ライマンらの探検隊が夕張川上流の炭鉱地質を調査シホロカベツガワ後、それに同行した北海道庁の技師坂市太郎が1888(明治21)年、夕張川の支流志幌加別川上流で石炭の大露頭を発見した。1891(明治24)年の炭鉱開始と翌年の鉄道開通以来、優良な鉄鋼コークス用原料炭を産出する夕張は炭鉱の街として栄え、1943(昭和18)年には市制が施行された。一時は人口12万を数えたが、1965(昭和40)年頃から石油が普及し始めたことで次第に閉山し、炭鉱の街としての歴史に幕を閉じた。映画の中の夫妻が炭鉱住宅で暮らしていた頃は、まだ活気があった時代である。現在、石炭博物館にその頃の歴史や生活が再現されている。炭鉱に替わって夕張の顔となったのが観光であるが、人口が大幅に減少したことと過剰な投資を行ったことで、2007(平成19)年に財政再建団体に指定された。知名度の高い夕張メロンのほか、マウントレースイスキー場や映画祭などが有名である。残念ながら、かつて石炭を運んだ石勝線夕張支線は2019(平成31)年3月末を持って廃止となる。映画のラストシーンのロケ現場が「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」として残っている。映画公開から40年を迎え、老若男女問わず「幸福」を考え感じられる場所にと、2017(平成29)年に施設を全面リニューアルした。五軒長屋の炭鉱住宅の内部は、映画の写真や実際に使われた小道具を展示している。また、来場者が大切な人へのメッセージを記した付箋で黄色く染め上げられている空間がある。(文塚本敏行)写真6主要な天竜坑跡<参考資料>1)DVD『幸福の黄色いハンカチ』1977年/2010年松竹株式会社2)『幸福の黄色いハンカチ』映画パンフレット3)「幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば」ホームページ(https://yubari-hankachi.com/)4)「夕張市」ホームページ(https://www.city.yubari.lg.jp/index.html)<取材協力>幸福の黄色いハンカチ想い出ひろば<写真提供>写真1、6、7、8塚本敏行写真2、4髙橋真弓写真3飯塚理恵写真5佐々木勝写真7夕張駅ホーム(2018年)写真8風にたなびく黄色いハンカチCivil Engineering Consultant VOL.282 January 2019037