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おいて、中世では勧進聖とまで称された僧侶の先導役としての存在は見出せていない。しかし、呪術的な風習は近世にも残り、1588年の加藤清正肥後入国後の菊池川では、築堤での人どくじゅ柱と法華経の読誦の伝説がみられる18)。また、さかわがわ江戸中期には酒匂川(神奈川県)にて、僧侶だらにきょうの加持祈祷後の陀羅尼経を治水用の土俵へ投ずるなどの記録も残る19)。治水施設の堅固安定祈願の風習であった。さらに用水路新設では、武士や農民などの主導者が命を懸けた例もある。江戸時代の治水や利水の労働力は、基本的に地元の民衆に依っていた。但し18世紀初頭には町人、名主、庄屋、商売人などによる請負の存在がみられ、幕府は請負を抑止する法令を度々出している20)。また、同じ頃の大名手伝普請において入札事例などもみられる21)。江戸時代初頭の幕府の治水対策は、関東流と称された河川の洪水氾濫を許容する考え方が主流であった。新水路開削による分水事業は1605年の徳川家康の命により矢作川にて実施される。その後、幕府による利根川東遷事業(1654年通水)、岡山藩による旭川の分水路・百間川の設置、幕府による阿賀野川の分水(1730年)、木曽三川の分流(1754~1755年)などが続く。代官などの幕府役人は17~18世紀に掛けて世襲制から官僚的へと変化していった。『川除普請定法書』が編まれた享保年間(1716~1736年)には、8代将軍・徳川吉宗の奨励により新田開発が進むが、それは江戸初頭来、未開として残っていた微高地へ正確に用水を送るための水準測量技術や河川の立体交差技術(図3)、溜池の干拓などに拠るものであった。18世紀末には江戸幕府においても、フランス革命や産業革命の情報は入っていたと考えられるが、江戸幕府の河川技術には幕末まで西欧理論の積極的な導入はみられなかった。示方書化された河川工法は特に幕府領において使用されたが22)じかたしょ、その後、地方書と呼ばれる文書にも掲載され、他領にも広まるようになる。そして19世紀に入ると地方算法書などが複数著されるなど、算術の素養を高めることにも関心が集まるようになっていった23)。武士が為し得た到達点武士が政治を司った後期300年は、近代へと続く広範囲で大規模な土木事業の始まりであった。それは、それまでの宗教観や思想観を乗り越えて施工の経験や図3綾瀬川掛樋技術の蓄積を獲得したことによる。これら武士が為し得た到達点は、明治からの数値計算などによる近代自然科学の導入、土木材料や施設の近代化、官僚制の復活などによる治水や利水事業の展開での礎となり、民衆の願いを実現するスケールを拡大したものであった。<参考文献>1)亀田隆之『日本古代治水史の研究』、吉川弘文館、2000.2)西山孝樹、藤田龍之「わが国の「土木事業の空白期」における土木と関係する官職」、土木学会論文集D2(土木史)Vol.70、No.1、pp.9-19、2014.3)西山孝樹、藤田龍之、知野「わが国の平安時代における「土木事業の空白期」に関する研究」、土木学会論文集D2(土木史)Vol.68、No.1、pp.123-131、2012.4)同上5)網野善彦『「日本」とは何か』日本の歴史第00巻、講談社、2000.6)北原糸子編、水野章二『日本災害史』(中世の災害)、pp.128-137、2006.7)網野・石井・福田監修、能登・峰岸編「よみがえる中世5浅間火山灰と中世の東国」、平凡社、1988.8)網野善彦『日本中世の百姓と職能民』、pp.198-200、平凡社、2008.9)土木学会『明治以前日本土木史』、岩波書店、1936.10)永原慶二『荘園』、吉川弘文館、p.292、1998.11)畑大介『治水技術の歴史-中世と近世の遺跡と文書-』、高志書院、2018.12)史料による中世灌漑史は寶月圭吾『中世灌漑史の研究』、畝傍書房、1943.が著名。13)知野「酒匂川にみる近世治水技術に関する研究-文命堤を中心に-」、土木史研究第10号、pp.33-40、1990.14)滋賀県教育委員会『埋蔵文化財活用ブックレット11(近江の城郭6)観音寺城跡』、p.1、2011.15)服部英雄『河原ノ者・非人・秀吉』、山川出版社、2012.16)西山孝樹、知野「紀の川上・中流域における近世中期以前の灌漑水利の変遷に関する研究」、土木学会論文集D2(土木史)Vol.68、No.1、pp.11-21、2012.17)同上18)『五十年史』、建設省九州地方建設局・菊池川工事事務所、1991.19)『新編相模国風土記稿』20)『御触書寛保集成』正徳三巳年四月の條,他1337,1420,『御触書天明集成』2509,『御触書天保集成』6228,4666,『牧民金鑑』文政五午年十二月廿二日、同文政十一子年十一月、同天保七申年十一月.21)大谷貞夫『江戸幕府治水政策史の研究』、雄山閣出版、1996.22)知野、大熊孝「阿賀野川における近世水制技術に関する研究」、第8回土木学会新潟会研究調査発表会論文集、pp.85-92、1991.23)知野「徳川幕府法令と近世治水史料における治水技術に関する研究」、土木史研究第11号、pp.49-60、1991.<図出典>図1内務省土木局『土木工要録』1881年図2『絵本太閤記』五編巻の八(1797-1802年、『明治以前日本土木史』所収)図3『新編武蔵国風土記稿』足立郡1822年Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019019