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写真3輪中(左から揖斐川、長良川、木曽川)達し、天竜川の河原に住んでいる」という伝承をとらえ、河童とはまさに「川小僧」と呼ばれる漁業や土木に関わった人々のことではないかと指摘している。歴史実証は難しいが、伝承によれば「河原町」と名のつく町は、土木技術者が住む、または土木技術者に関わる町であくろくわるらしい。行基伝承を引く点や、黒鍬(築堤土木技術者)が近世に活躍した天竜川であることを考えると、若尾の推測は外れていない。つまり河童の伝承は、土木技術者がかつて河原を中心にして活躍していたことを物語っているのである。民俗学者の市川秀之が、近世尾張衆の活動を通して指摘した黒鍬も、後に常民から河童と呼ばれたかもしれない。市川はこの尾張黒鍬の源流が、豊臣秀吉によって、荒地開発のために畿内から尾張に集められた陰陽師でぼくぜいあることを明らかにしている。陰陽師は卜筮や吉凶を占まんざいう呪術者であるが、彼らは地鎮の呪術や萬歳の芸能を持つだけでなく、土木技術をも持ち合わせた漂泊の民であった。鬼と鉱山つるはし築堤と鉱山は、おなじ黒鍬という名の鶴嘴形の工具を使う。また坑道の中に落盤を防ぐ井桁を組むが、その技術と堤防の杭打ちにも関連した技術がありそうである。事実、信州佐久高原の五郎兵衛新田の隧道開削に、鉱山師が活躍していたことが言われている。土木技術と鉱山技術の関係について、宮本もこのように述べている。「中国山地とか中部地方の山中には黒鍬師というのがおったんです。黒鍬師というのは鉄山とか銅山で働いておった人です。中部地方の西部、つまり美濃の国、越前の国、そのあたりは金がたくさん出ましたし、銅がでました。それを掘るために黒鍬師が出てきたわけです。その人たちが、やがて銅が出なくなったときに平野へ下ってきて、いろんな土木工事をやるようになります。濃尾平野にたくさん川が流れておる。そうして見事な堤防が残っておる。自分らの村を守るために、輪中と言われる堤防が、多いときには二〇〇を超えるほどあったのですが、それを築いたのはじつは黒鍬師です。それがひとつの景観をつくり出していった。」こうした特殊な技術を持った非常民は、需要に応じて飛び回り、井戸や隧道を掘ったり、堤防を作ったり、さらには鉱山開発にも関わったのであろう。土木技術者は鉱山師でもあり、鉱山師は土木技術者でもあったのだ。022Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019