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写真3五郎兵衛用水の水源写真4五郎兵衛用水路の旧掘貫五郎兵衛用水路の規模や構造用水路は全長約20kmといわれるが、当初はそれより3新田の開発のうち最も技術・労力・費用を要したの2kmほど短かったことになる。が五郎兵衛新田であった。水田を開くために必要な用水その17.6kmの内訳は、山間部の用水路となる「岩間を引いてくることが難しかったからである。五郎兵衛はせぎ」の3.3kmと、比較的平坦部の用水路となる「土間用水を得るため、蓼科山の標高1,900m付近の湧き水を水源とし、その水を細小路川(下流は岩下川)へ落とかくまし、湯沢川と合流して鹿曲川となるあたりで取水し、そこから用水路を開削して矢嶋原の芝間まで用水を引いてきたのだった。しかし、間にはいくつも山があり、川もあった。そこへ用水を流すため、トンネル(掘貫)を掘ったり、川の上を渡すために木の樋(掛樋)をかけたりしなければならなかった。また、矢嶋原に到着した用水を広く行き渡らせるために、用水を矢嶋原の最も高いところに流す工夫もしている。それが盛土をして幹線水路を高くした「つきせぎ」あるいは「土樋」である。さらに、土で固めただけの「つきせぎ」の土手を補強するため、四角に切った芝草を「田楽ざし」にして張り付けることも行っている。開削から40年ほど後の寛文11(1671)年の史料には、用水路の全長は約17.6kmと記されている。五郎兵衛図2五郎兵衛用水路概略図(『五郎兵衛新田と被差別部落』より)026Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019