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特集5近土木技術者の姿代土木技術者の教育原口征人HARAGUCHI Masato一般社団法人北海道開発技術センター/企画部/上席研究員北海道大学非常勤講師欧米社会との圧倒的な差を目の当たりにした政府は、西洋技術を導入しようと土木技術者の育成に力を入れた。膨大な技術の吸収のためカリキュラムやシステムが整備され、土木技術者は成長していった。近代日本の教育の中で土木技術者はどのように技術を身につけていったのだろうか。幕末維新期─士族の教育として「明治維新で日本は文明開化を迎えました」とは、誰もが知る日本史の常識です。それでは土木技術者が、その時代の転換期にどうなったのかをご存知でしょうか。本稿は土木教育の面から、その一端を紹介します。武士の世が終焉を迎え、幕藩体制が無くなること(廃藩置県)で、士農工商の身分制度も消滅。それまで政治、統治の巨大なシステムを支えていた士族階級が、大量に職を失う事となりました。これをソフトランディングさせ、虚業(政治、統治の世界)から実業(農、工、商の産業)に向かわせようと企図されたのが「士族授産」でした。その流れに最も馴染んだのが、土木だったといえるでしょう。なぜなら奉公する先が藩ではなく国(ないふしんし政府機関)となり、普請でなく事業を行うことに変更されただけですから。こうした「実業教育」の推進は、倒幕後に新政府が行う教育施策の中でも、重要な柱となってきます。一方、岩倉使節団等で西洋諸国を実見した政府要人らは、その発展の違いに驚き、科学技術を欧米から移入して産業を興し、国力を高めることを目指します(脱こうぶしょう亜入欧・富国強兵)。「工部省」と名づけられた、現在でいう経産省・国交省・文科省の科学部門(旧科学技術庁)を足したような官庁が誕生し、西洋の科学技術の導入を進めます。土木工学は、その中でも中心的な位置づけでした。この明治初期の新政府で面白いところは、省庁の組織づくりが幕末の藩経営を模した形で独立独歩の体をなしてくるところです。「新しい省庁には新しい人材が必要。徳川時代の学問ではそれに見合う人間なぞ出てきやしない。ならば学校を創設し、育ててしまえ!」とばかりに、省庁ごとに自らの官吏を養成する附属学校が誕生します。工部省には「工部大学校」が、北海道の開拓使には開拓官僚を育てる「札幌農学校」が誕生しました。これらと外国文献の研究教育を行う旧幕府の開成所を起源とした「東京大学」(文部省)、その理学部工学科において、明治前半の高等土木工学は講じられていました。西洋近代土木の移入─類い稀なる工学カリキュラム西洋で発達した土木工学を摂取していくのは、並大抵ではありませんでした。教師は全て海外からのお雇い外国人、授業は全て母国語、もともと海外文献翻訳を生業とした東京大学では英語・フランス語・ドイツ語が飛び交い、語学教育を受けつつ専門教授がなされる状況で、工学の授業の前にまずは語学、物理数学等の基礎理学(体系)を教える「予科」が整備されたのも必然の流れでした。東京大学の大学予備門・工部大学校予科等が文部省の学校整備とは直接に関係しない系統で、初等教育から工学教育にいたる経路とし写真1お雇いイギリス人指導者て整備されました。ちなヘンリー・ダイアー028Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019