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事的なインフラを担当していたのは、職人、商人または建築家であった。シビルエンジニアリングの先駆者として知られるジョン・スミートンやトーマス・テルフォードも、もともとは水車工であり、石工であった。しかし彼らは、途中からシビルエンジニアと名乗り、その模範的存在となっていく。当時の英国は、1689年の『権利の章典』に基づき、国王の権力を制限して、議会が政治を主導する市民社会を、世界に先駆けて実現していた。都市人口も徐々に増加し、「コーヒーハウス」などで身分や階層によらず自由闊達な議論が行われ、市民の知を結集して新たな社会を創り出す機運が急速に高まっていた。そして、英国の目覚しい発展を支えた大規模インフラ事業が、まさにこの時期始動するのである。特に、1761年にブリッジウォーター運河が開通することで、石炭の価格が著しく下がり、通行料収入による運河ビジネスの可能性が示されたことで、英国の運河投資熱は高まる。そして内陸部の資源供給地と工業地帯を、ロンドン、リバプール、ブリストルなどの大消費地や港町とつなぐ水路ネットワーク構想が次々と打ち出されていく。このインフラ需要は、従来の建設業を見直す一つのきっかけになった。運河は、従来職人や建築家が手がけてきた機械や単体の橋・ドックなどと異なり、規模が格段に大きく、長大な流体を扱う複雑かつ高度な技術を必要とした。そのため大量の材料の調達や、実験又は諸外国の事例研究に基づく技術的課題の解決が求められることもあった。また、運事業認可を受けるための行政手続きが煩雑で、時には政治家や行政機関に直接事業を説明する必要があったし、施工にあたり複数の職種を束ねるマネジメント能力も求められた。それは、事業主と直接契約して工事を請け負う職人や建築家の職域をはるかに超えた業務であった。そこで登場したのが、事業主と請負の間をつなぎ、事業全体をコントロールする建設コンサルタントという新たな業種であり、それを担うシビルエンジニアという新たな専門職であった。1771年にシビルエンジニア協会がつくられたのも、事業主に代わり議員や行政機関に事業説明を行う技術者が、議事堂付近でしばしば顔を合わせていたのが一つのきっかけであって、当初は会合も国会会期中までの期間に限られていたという。英国における運河事業者の多くが、インハウスエンジニアを擁する公共組織ではなく、地主や民間企業だったことも、シビルエンジニアの存在意義を高めた。ただ大規模事業となると、調査・設計から施工管理写真2 近代英国を代表するシビルエンジニアの一人ブルネルが設計したクリフトン吊橋(1864年完成)までのすべてを一人のシビルエンジニアが担当するのは難しい。そこでスミートンは、現場に常駐技術者を配置して、自らは監督を務めるという事業運営方式を編み出した。このように技術だけでなく事業運営も近代化されることで、英国の繁栄を支えるビッグプロジェクトが次々と実現していくのである。その後も、英国土木の中核は建設コンサルタントまたは建設会社が担っていく。建設会社も工事だけでなく、設計から施工までを一体的に行うのが一般的であった。この民の系譜は、英国土木学会の歴代会長の顔ぶれからも一目瞭然である。彼らは『自助論』を書いたサミュエル・スマイルズが指摘するように、公的組織に頼らず、自立した個人の力で近代を切り開く、英国の栄光を象徴する存在であった。官の系譜近代日本の土木技術者は英訳するとシビルエンジニアとなるが、実態を見れば英国とはずいぶん趣が異なる。端的にいえば、日本では民ではなく、官が近代土木の中心をなしてきた。歴代の土木学会会長も、特に戦前は(元)官僚または帝大の学者がほとんどだった。これには近世以前からの公共事業の伝統も影響しているのであろう。ただし、決して日本特有の話ではない。近代化のプロセスから見れば、フランスで確立した近代土木の官の系譜に連なるものといえる。中央集権化を目指す明治政府にとって、フランスは一つの重要なモデルであり、土木についても官の領域を拡充する内務省土木監督署の制度(国土交通省地方整備局の原型)などは、フランスから導入したものだった。世界的に見れば、近代土木には民と官の2つの系譜があって、前者が英国の市民社会の中で育まれたのにCivil Engineering Consultant VOL.283 April 2019033