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対して(米国も同じ)、後者はそれより前からフランス絶対王政下で形づくられていた。フランスでは中央集権化と重商主義政策の推進という国の方針を具体化する技術官僚(Ingenieur des Ponts et Chaussees)が重用され、絶対王政崩壊後も彼らが土木を主導し続けた。この官僚組織は、高等教育機関と一体化した強固なもので、特にラテン諸国に大きな影響を与え、教育方法もドイツ(Technische Hochschule)、米国などの多くの大学のモデルとなった。このように、フランスは世界の土木の近代化において大きな役割を果たした。しかし、官僚組織や公教育の制度を整える一方で、民間主体の産業分野では、英国に大きく出遅れていた。それはなぜか。英国では民間の分業体制が優れ、それをシビルエンジニアが統括しているが、フランスにはそれが存在しないのではないか。こうした分析・反省のもと、1829年に設立されたのがフランス流シビルエンジニア(Ingenieur civil)を養成するエコール・サントラルという学校であった。フランスを代表する建設会社を創設したエッフェルとブイグは、いずれもこの学校の出身である。日本のコンサルティング・エンジニア明治以降の日本では、高等教育を受けた土木技術者の多くが官界に入った。とはいえ、調査・設計から施工管理までを担う、英国起源の建設コンサルタント業に活路を求めた技術者がいなかったわけでもない。みなみきよしまず南清である。彼は工部大学校一期生で、土木科卒3人の中でトップの成績を修め、グラスゴー大学留学と英国の鉄道と築港工事を経験して、本場のシビルエンジニア精神を学んだ最初期の技術者だった。帰国後は工部省に入り、山陽鉄道の技師長も務めるが、米英視察後の1896(明治29)年、40才の時に大学の後輩村上亨一と共に建設コンサルタント会社「鉄道工務所」を設立する。当時の新聞広告を見れば、業務は鉄道建設に係る調査、測量、設計、工事監督から、材料輸入や営業コンサルティングまで多岐にわたることがわかる。英国を知る南には、医者や法律家(弁護士)が、病院や官庁組織の一員として働くよりも、個人経営者として高い社会的地位を築いているのと同じように、技術者も自立したコンサルティング・エンジニアとして活躍すべきだとの思いがあった。しかし現実には、彼の能力を十分発揮できるような、トータルなコンサルティング業務を受注することはほとんどなかったという。その一方で、彼は「政治家や軍人写真3近代フランスを代表するシビルエンジニアの一人エッフェルが設計したエッフェル塔(1889年完成)のおもちゃ」ではなく、国家の経済発展を支える帝国縦断鉄道計画を世に問い、官設鉄道との健全な競争に基づく競進主義を唱える。もちろん計画が実現すれば、鉄道工務所の業務としたかったのだろうが、それも日の目を見ることはなかった。もう一人、南より少し前から建設コンサルタント業を営んでいたのが山田寅吉である。彼は、エッフェルらが学んだフランスのエコール・サントラルを卒業後、農商務省や内務省に入って土木監督署々長まで務めるが、日本土木会社が設立されると技師長に就任、1890(明治23)年にはコンサルティング・シビルエンジニアとして独立し、後に「工学博士山田寅吉工業事務所」を設立する。同じ学校に留学して、帰国後官界のリーダーとなった古市公威や沖野忠雄とは対照的に、彼は祖国で母校の精神を体現したのである。そして内外の鉄道、鉱山、干拓など幅広い業務に携わるが、最終的には破産したようである。034Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019