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図2「鉄道工務所」の新聞広告写真4樺島が設計に携わった1924年完成の富士川橋大正期から昭和前期には、米国で修業した樺島正義、関場茂樹、増田淳の3人の技術者が、それぞれ橋梁コンサルタント事務所を開設している。その背景には、1919(大正8)年の道路法公布によって道路橋の建設需要が高まる一方で、事業主体の府県にそれを実施するだけの技量を持つ技術者がほとんどいないという事情があった。そこで彼らは、高い技術力を要する大規模よどがわ橋梁を次々と受注し、曲弦トラス式の富士川橋や澱川橋梁、ランガートラス式の尾張大橋など最新の設計を行っていった。その一方で、樺島はコンサルタント業が官庁の理解を十分得られなかった当時の状況を吐露しており、息子の正二には仕事を継がせるよりも内務省入りを勧め、1930(昭和5)年に事務所を閉鎖したという。黎明期の建設コンサルタント事務所は、いずれも一代限りで終わっている。しかし、それでコンサルタントの命うつみきよはる脈が絶たれたわけでなく、内海清温、平山復二郎、久保田豊、谷口三郎といった先人の努力により、現在の礎が築かれたのは、周知のとおりである。原点をかえりみてシビルエンジニアの原点の一つは、コンサルティング・エンジニアだった。これが、本稿の結論である。そしてそれは本来、設計から施工までを統括する職業であった。日本の建設コンサルタントが躍進するのは高度成長期以降のことだが、そこでは原則的に施工そのものに携わらない職業として位置づけられてきた。しかし、筆者が専門とする土木遺産の保全という狭い世界を見るだけでも、施工中に初めて明らかになる構造物の特性を設計にフィードバックする技量が事業の良否を左右し、設計と施工は簡単には切り分けることはできないと実感している。近年、景観デザインやNEXCO等の業務では、建設コンサルタントの役割が拡大しつつあると聞く。確かにキャッチアップの時代には、官が主導して効率的、組織的に先端技術を吸収、行使するのが最善策だったかもしれない。しかし、前例のない困難な構造物に挑むには、分業の効率性を保持しながらも、設計から施工まで貫く構想力や技術力をもつ人材、つまり本来の意味でのシビルエンジニアが求められる。今後の展開に期待すると同時に、英国シビルエンジニアの原点、そしてそれを英仏米で直接学び日本で実践した先人たちの孤高の挑戦が、建設コンサルタントのあり方について考える一つの道しるべになればよいと思う。<参考文献>1)BUCHANAN,R.A.,The Engineers:a history of the engineering profession inBritain, Jessica Kingsley Publishers, 1989.2)鉄道時報復刻版第4巻、八朔社、1997.3)五十畑弘・木田哲量、公共工事建設システムに関する史的考察、土木学会論文集、No.647/IV-51、2001.4、pp. 83-97.4)土木学会土木図書館委員会・土木史研究委員会(編):古市公威とその時代、土木学会、2004.5)土木学会誌編集委員会(編)、北河大次郎(責任編集):技術者たちの近代、土木学会、2005.6)高橋裕・藤井肇男:近代日本土木人物事典、鹿島出版会、2013.7)設立50周年記念誌、一般社団法人建設コンサルタンツ協会、2014.<図・写真提供>図1GUILLERME, A., Batir la ville, Champ Vallon, 1995.図2鉄道時報写真1、2、3北河大次郎写真4小野田滋Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019035