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2四ツ谷駅東側の松林1889(明治22)年に、甲武鉄道(現在のJR中央線)の八王子~新宿間が開業した。新宿から小石川の砲兵工廠までの延伸にあたっては、用地確保の容易な外堀を通る路線とされた。当時、東京を首都にふさわしく再開発する目的で市区改正委員会が組織され、甲武鉄道の延伸についても諮られた。古いものを捨て新しくなることをよしとする空気の中でも「四ツ谷~牛込間は類を見ない風致だから損なわないようにする」という意見がでるなど、守るべき場所とされた。最終的に委員会は「土塁を損なわないよう四ツ谷~市ケ谷間の突出部を隧道とする」「土堤上の樹木はなるべく伐採せず、止むを得ず伐採するときは線路の妨げにならないところに樹木を植え風致を保つ」条件で路線を許可した。1894(明治27)年10月9日に新宿~牛込間が、1895(明治28)年4月3日に牛込~飯田町間が営業を開始した。土堤の裾は削られて堀はせまくなったが、条件通りに、四ツ谷~市ケ谷間の突出部に隧道がつくられ、樹林を残すよう配慮された。その後、昭和初期の複々線化でこの間の隧道は消滅し、堀はさらに狭くなったものの、土堤の上部は公園として残された。戦後、外堀はがれきの行き場とされ、総延長約14kmのうち南半分のほとんどが埋められたが、1956(昭和31)年に、赤坂から牛込にかけての堀と、虎ノ門周辺に点在する石垣の約4kmが史跡に指定された。これから外堀は、時代の要請を受け入れてきた「東京の懐」だった。2008(平成20)年の『史跡江戸城外堀跡保存管理計画書』では、都市に残された大規模な緑地と水辺として保全し、親しみながら散策できるよう、また堀の地形や規模を体験できるよう整備するとされた。人を隔てるための堀は、400年近い時を経て人々が訪れる場になり、積み重ねてきた歴史を語り始めようとしている。<参考文献>1)『史跡江戸城外堀跡保存管理計画書(概要)』千代田区・港区・新宿区平成20年3月2)『甲武鉄道延伸に関わる審議過程に現れた東京市区改正委員会の景観思想』丸茂弘幸・青木太郎・木下光第34回日本都市計画学会論文集583-588 1999年3)『明治・大正期の外濠の改築・埋立にみる都市風景のとらえかたについて』馬木知子都市計画論文集39.3, 121-126 2004年4)『中央線の歴史』東日本旅客鉄道株式会社八王子支社https://www.jreast.co.jp/hachioji/chuousen/history_chu/index_c.html<写真提供>1:一般社団法?千代田区観光協会2:惣慶裕幸Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019037