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Projectプロジェクト紹介明治期にイギリスより輸入されたトラス橋の復元上野淳人UENO Junto株式会社オリエンタルコンサルタンツ関東支社構造部技師長■はじめに霞橋は、近代土木遺産として文化財相当と判定されていた江ヶ崎跨線橋200ft(約61m)プラットトラスを移設し、橋長を半分にして再生したものである。移設再生は2009(平成21)年夏から2013(平成25)年春にかけて実施された。また通常、建設コンサルタントが関与するのは計画と設計までが多いが、今回は製作と架設にも大きく関与した。再生プロジェクトではやってみないと判らないことが多く貴重な経験となった。表1プロジェクトおよび橋梁緒元事業名称霞橋架替事業事業者横浜市道路局建設部橋梁課道路規格4種4級活荷重A活荷重橋長32.96m幅員6.0m(車道4.0m+歩道2.0m)■霞橋になるまで江ヶ崎跨線橋200ftプラットトラスは、1896(明治29)年にイギリスから輸入され、日本鉄道土浦線(現JR常磐線)隅田川橋梁として竣工した。鉄道橋として32年使用された後、1928(昭和3)年に撤去され、横浜市と川崎市に跨る新鶴見操車場(現新川崎駅付近)を横断する江ヶ崎跨線橋として道路橋に生まれ変わった。明治中期のわが国の橋梁業界は、それまでのお雇い外国人技術者による設計から国内技術者による設計へ移行する時期にあたる。また、橋梁材料が錬鉄から強度に優れる鋼へ切り替わる時期にもあたる。このような特徴的な時期に造られた江ヶ崎跨線橋は、「かながわの橋100選」や「鉄の橋百選」(土木学会歴史的鋼橋調査小委員会)への選定、「日本の近代土木遺産」(土木学会土木史研究委員会編)で都道府県指定の文化財相当に選定され、土木遺産として認められていった。しかし、道路幅員が狭く歩道もないことから、2005(平成17)年に新鶴見操車場再開発計画が決まると架け替えられることとなり、2009(平成21)年に解体が始まった。これに対して、貴重な社会資本であり、また学識者から横浜市へ江ヶ崎跨線橋の歴史的価値の保全活用の要請もあり、横浜市中区の新山下運河で架替予定であった霞橋に再利用されることとなった。写真1旧隅田川橋梁写真2旧江ヶ崎跨線橋038Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019