ブックタイトルConsultant283

ページ
44/90

このページは Consultant283 の電子ブックに掲載されている44ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant283

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant283

識名園第77回琉球王国最大の別邸「識名園」沖縄県那覇市八千代エンジニヤリング株式会社/事業開発本部/パブリックデザイン室-徳武広太郎/TOKUTAKE Koutaro(会誌編集専門委員)■琉球王国の世界遺産として息づく識名園「琉球王国のグスク及び関連遺産群」は琉球王国が数世紀もの間、中国や日本、朝鮮などと交流し、その文化を発展ざきみさせてきたことなどが評価され、首里城跡をはじめ座喜味じょう城址など4つの関連遺跡の合計9つから成る文化遺産が、2000(平成12)年に世界遺産として認定された。この構成要素の1つである「識名園」は、1799(寛政11)年につくられた広さ41,997m 2ともなる琉球王国の最大の別邸で、王家の保養や中国の皇帝が琉球王の即位を認めたこさっぽうしとを伝える使者である冊封使の接待に利用されていた。庭園は建物内から眺めるだけでなく、池の周りを歩きながら、風景の移り変わりを楽しむ「池泉回遊式庭園」である。近世に日本の諸大名が競ってつくった造園形式であるが、識名園の池に浮かぶ島には中国風の東屋や琉球石灰岩を利用した石橋など、中国の要素も取り入れた琉球独特の工夫が見られる。なぜ、作庭に際してそのように中国や琉球、日本の要素を多く取り入れたのだろうか。■識名園の移り変わりかせいくによしけかふ識名園の創設年代は『柯姓国吉家家譜』によると1798(寛政10)年に当時の琉球王家から王命が下り、同年4月に着工し12月には竣工したとされている。識名園は首里城の南側にあったため「南苑」とも呼ばれていた。ちょうぶんかい当時、識名園を訪れた冊封正使・趙文楷とともに招待さりていげんれた副使・李鼎元が著した『使琉球記』によると、「御殿は5棟からなり、軒前に新たに掘られた池が有り、池南側の樹林が十分成長しておらず、盛土した築山は竣工後まだ日が浅い」と記されている。このことから琉球王朝は識名園を急いで整備したことが伺える。なぜ急ピッチでつくられたかと言うと、尚温王冊封のために訪れた趙文楷らは清の国母逝去の連絡を受け、喪に服することとなったため非公式に行うこととなった。本来、冊042Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019