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写真1樹木のトンネル図1 1941年に実施した測量図封使を接待すべき場所は首里城だが、服喪中のため、急遽識名にあった識名親方の邸宅を買い上げ、接待場所として識名園を整備したとの説もある。近年では、1931(昭和6)年から測量や建築物などの調査が実施され、1941(昭和16)年からは名勝の指定に向けた当時の状況が把握された。しかし第二次世界大戦中の1944(昭和19)年、園内に集積されていた弾薬が砲火で誘爆を起こし、ほとんどの建造物は一夜にして壊滅的な打撃を受けた。1971(昭和46)年、沖縄の本土復帰に伴い識名園の復旧事業が開始された。復旧事業は護岸、中島、石橋、長堤、園路等の調査や整備から始まり、門、御殿、番所など20年間に及んだ。■玄関から御殿までの誘い創建当時の識名園の玄関は現在と異なっている。当時の玄関は2つの通用門と正門があり、通用門は識名園で働くものたちが出入りし、正門は冊封使や王族などが出入りした。園内に入るゴツゴツとした石畳の園路沿いには沖縄の県花であるデイゴ、ガジマルやオキナワヤマコウバシ、マサキなど高木から中低木までの様々な階層の樹木がうっそうと生い茂っている。木々の間からは、幾筋もの陽光が射し込み亜熱帯のジャングルを歩いているような印象を受ける。石畳の園路は、限られた敷地の中でも長く続き奥行きがあるかのような感覚があり、自然の趣を感じさせる緩やかな曲線を描いている。園路を湾曲させることで、琉球信仰のヤナムン(嫌いなもの)やマジムン(蟲もの)と呼ばれる邪悪なものが、屋敷内に侵入することを防いでいる。石畳の園路を抜けると、いきなり開放的な空間へ変化する。しかし、そこからはまだ識名園の全容は見わたせず、池や石橋の一部の景色しか見ることができない。近くには池の水源の1つにもなっている、半円形に石積みされた育徳泉がある。石積みは琉球石灰岩を使用し、多角形に加工してお互いがかみ合うようにした琉球独特の呼び写真2野面積みと相方積みの擁壁写真3心字池の源泉である育徳泉Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019043