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写真2古市公威が携わった三国港突堤(福井県坂井市)こと」を、そしてそれと同時に「その中心に土木あることを忘れられざらんこと」を言われている。この2つの部分に特段の感銘を受け、私の行動規範の一つになっている。先生の意とするところは、「自分の専門分野に固執することなく、社会において解くべき課題を見つけ、あらゆる分野に関心をもって、その解決のために邁進されたい。ただし、課題設定においては、土木を強く意識し、土木を通じて社会に貢献する課題とせよ」だと理解している。土木の課題というのは幅が広く、社会にも深く絡む。建築、電気、機械などの工学はもとより、経済学などの成果を利用する場面も多い。他分野の方と一緒に仕事をする機会も多々あるであろう。その時は、「リーダーとして、まとめ役として、皆さんから尊敬されるエンジニアであって欲しい」というのが古市先生の教えと勝手に解釈している。古市先生の教えをまさしく実行したのは、札幌農学校で学んだ廣井勇(写真3)である。彼はもともと鋼橋の専門家であるが、小樽築港という難工事を任され、当時としては全く斬新な機械施工を取り入れ、また、火山灰を入れた新しいコンクリートを開発し、工費の低減をはかった。古市先生に呼ばれて東京帝国大学教授になってからは、橋梁力学の名著を表すだけでなく、しばらく前までは世界中で使われていた廣井の波圧公式など、専門にこだわることなく、数々の素晴らしい仕事を残した。非常に多くの弟子を育て、我国の土木工学研究の礎を作った4)。廣井先生は私の憧れの人であり、ロールモデルなのである。ところで、1879年に日本工学会が創立され、7年後の1886年には日本造家学会(今の日本建築学会)が、そのあとも日本機械学会、電気学会などが続々と独立して分れていったが、古市先生は土木学会の創設に長い間、賛同しなかった。それは先生が「『工学イコール土木』であって、土木が日本工学会から抜けるわけにはいかない」と考えていたからだといわれる。独立が1914年と一番遅かったのはそのような理由によることも知っていただきたいと思う。社会的共通資本という概念を提唱した、世界的経済学者宇沢弘文先生も『人間の経済』5)の中で、「もともと工学は英語で言うとcivil engineering、日本では土木工学と理解されがちですが、実はそれより広い意味を含んでいて、社会が一つの社会として機能し、そこに住むすべての人たちが人間らしい生活ができるための工学的なストラクチャーを指しています」と書かれている。古市先生の考えと共通するところが多い。古市先生の教えの実行2012年12月の中央自動車道笹子トンネルの天井板落Civil Engineering Consultant VOL.283 April 2019003