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008 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020■ 大都市東京とともに世界の大都市には、必ず都市とともに語られる川がある。ロンドンのテムズ川、ニューヨークのハドソン川、ローマのテヴェレ川などなど。飲料、産業、交通、排水、防衛など様々に川は用いられてきた。都市は川によって創られてきたともいえる。では東京はどうだったのだろうか。1884(明治16)年の文明開化の頃、イギリスの地理書を翻訳する形で『地ち 文もん新しん篇ぺん』が出版され、教員を養成する師範学校の教科書としても使われた。本文は「両国橋及ビ隅田川」から始まり、潮・水源・雨と、川の起源を遡る形で綴られている。底本となった書籍もテムズ川から始められており、当時、東京、日本を代表する河川として隅田川を取り上げたのである。しかし、東京を流れる主だった河川には、延長で言えば173kmの荒川、138kmの多摩川、60kmの江戸川と大規模な河川も多い。比べて隅田川は23.5kmと短く、小規模な河川である。なぜ隅田川は東京を代表する河川になったのだろうか。■ 隅田川を制する現在の隅田川は、埼玉県を主な流域とする荒川水系の一部であり、東京都北区の岩淵水門で荒川と分かれている。しかし、かつて隅田川は利根川の下流であり、関東平野一帯を流域とする利根川の水は、隅田川を通して東京湾に注ぎこみ、河口付近の氾濫原には低湿地が広がっていた。そのため、江戸時代以前は浅草寺や待まつ乳ち 山やま周辺など、川の氾濫に巻き込まれにくい微高地だけが活用されていた。治水技術の発達していない時代、少し雨が降れば洪水の危険性がある低湿地では都市は育ちにくく、江戸・東京の成長には、隅田川を制する必要があった。このために行ったのが「奥川廻し」である。これは特集 東京を支えてきた土木施設江戸東京とともにある川「隅田川」東京都、北区・足立区・荒川区・墨田区・台東区・江東区・中央区Sumidagawa - the river of Edo-TokyoSpecial Features / Civil engineering facilities supporting Tokyo株式会社千代田コンサルタント/社会環境事業部/総合計画室有賀圭司(会誌編集専門委員)ARIGA Keiji桜橋から望む隅田川