ブックタイトルConsultant286

ページ
13/60

このページは Consultant286 の電子ブックに掲載されている13ページの概要です。
秒後に電子ブックの対象ページへ移動します。
「ブックを開く」ボタンをクリックすると今すぐブックを開きます。

Consultant286

ブックを読む

Flash版でブックを開く

このブックはこの環境からは閲覧できません。

概要

Consultant286

Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020 011学の艇庫も設置され、吾妻橋付近の水面がその中心地であった。1899 (明治31)年のボート競技は「…少壮血気の士源平須磨の戦にも比すべき勇気を鼓舞しつつ、青白赤黄各自の艇に目印を置き互いに勝を争う端艇競漕は隅田江畔観客の多きを致す一大勢力…」といったレースとそのにぎわいの景色を伝えている。しかし、隅田川でのボート競技は時代とともに下火となっていった。川辺には今も1954(昭和29)年に行われたレース風景が刻まれた石碑があるが、実はこの頃には水質悪化が懸念されていた。もともと勾配が緩やかな隅田川では、岩淵水門から河口まで水が流れるのに3~4日かかり、汚染が進みやすかった。昭和に入ると化学工場や染色工場などが沿川に立地し、5mg/?以下が望ましいとされるBOD(生物化学的酸素要求量)値は、1940(昭和15)年に10mg/?、1955(昭和30)年頃には40mg/?に達し、1961(昭和36)年には早慶レガッタレースも中止となった。川からは有毒ガスが発生し、両岸の家々は窓を開けられず、近くの問屋の真鍮製品が10日で黒ずんだともいわれる。対策が本格化したのは、1964(昭和39)年の東京オリンピックが契機であり、区部全域で下水道整備を急速に進めるとともに、工場排水の基準設定や下水処理場整備により徐々に改善がなされ、1978(昭和53)年には早慶レガッタが再開されるに至った。■ 江戸、東京、これから江戸が都市として本格的に成長しはじめたのは家康が拠点としてからである。家康が関東に転封となったとき、北条氏の拠点であった小田原でも古都鎌倉でもなく、江戸を本拠に選んだ。その理由は秀吉の勧めとも、土着勢力との軋轢とも言われるが、大坂(大阪)に倣ったとも考えられる。大坂は、淀川の下流に位置し大坂湾に面した水運の要衝であり、淀川上流には「淡海之海」とも呼ばれた琵琶湖がある。その琵琶湖は敦賀を通じて日本海ともつながっていた。江戸はと言えば、隅田川下流で東京湾に面し、加えて奥川廻しにより「香取之海」と呼ばれた霞ケ浦を通じて東北とつながる可能性があった。隅田川があってこその選択だったのではないだろうか。ここまで奥川廻しから水運、そして水上生活、スポーツと隅田川を巡る様相を紐解いてきたが、江戸市中の水路整備や震災復興・戦災復興との関連をはじめ、隅田川や周辺の水辺には様々な人の想い、活動の歴史が詰まっている。水運やスポーツが盛んではなくなった現在も、観光客の増加とともに隅田川周辺はにぎわいを見せ、浅草・スカイツリー周辺で新たな水辺空間の整備も進みつつある。奇しくもその場所はボート競技でにぎわいをみせた吾妻橋の周りであり、待乳山や江戸を水害から守った墨堤・日本堤にもほど近い。隅田川は江戸・東京、そしてそれ以前からこの都市を造り上げてきた川であり、今もその痕跡を各所にみることもできる。今後とも隅田川は東京とともにあり続けていくだろう。その中で、隅田川と東京はどのような顔をみせていくのか、これからも楽しみにしていきたい。<参考資料>1)『寳永御江戸繪圖』喜多川草鳥 1853年 蔦屋吉藏 国立国会図書館デジタルアーカイブス蔵2)『安政改正御江戸大絵図』高井蘭山 1858 年 出雲屋万次郎・岡田屋嘉七 国立国会図書館デジタルアーカイブス蔵3)『地文新篇』西邨貞 1885年 金港堂 国立国会図書館デジタルアーカイブス蔵4)『端艇競漕』遠山熈 1899年 博文館 国立国会図書館デジタルアーカイブス蔵5)『水環境保全技術研修マニュアル』社団法人海外環境協力センター 2005年6)『水の都市 江戸・東京』陣内秀信・法政大学陣内研究室 2013年 講談社7)『江戸の開府と土木技術』江戸遺跡研究会 2014年 吉川弘文館8)『都市 江戸に生きる』吉田伸之 2015年 岩波書店9)『東京の歴史2 通史篇2』池享 櫻井良樹  陣内秀信 西木浩一 吉田伸之 2017年 吉川弘文館10)『東京の歴史5 地帯編2』池享 櫻井良樹 陣内秀信 西木浩一 吉田伸之 2018年 吉川弘文館<取材協力・資料提供>1) 江東区中川船番所資料館<図・写真提供>図1 参考資料3)  図2 参考資料1)図3 参考資料2)  図4 参考資料4)P8上、写真1、2 有賀圭司  写真3 塚本敏行  写真4 加地智彦写真3 1954 年ケンブリッジ大学を招いてのレース風景写真4 観光名所も多い隅田川沿川