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012 Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020■ 首都圏を支える東京港東京都の沿岸部、荒川河口から多摩川河口にかけて広がる東京港は、1998(平成10)年から外貿コンテナ取扱個数連続日本一を誇る国際貿易港である。取扱貨物は雑貨製品類や食料品、紙類、建設資材など都市の活動に直結する品目の比率が高く、首都圏4,000万人の市民生活を支える海の玄関口となっている。東京港では航路確保のために海底を掘った浚渫土砂を利用して埋立地が造成されきた。明治以降の埋立地は、千代田・中央・港・新宿の4区を合わせた面積に相当する。新たに造り出された広大な土地は、過密化した都市機能の分散・拡充にも役立てられており、台場、有明、豊洲などの地区名は全国に知られている。このように東京港は今では日本を代表する港湾となっているが、本格的な整備が始まったのは他の主要港湾より遅く、昭和に入ってからであった。なぜ、首都である東京の港湾整備が後回しになったのだろうか。■ 東京の基盤形成と江戸湊東京港の前身である江戸湊は、江戸城の原型を築いた太田道灌らが活躍した15世紀後半には、伊勢湾との貿易船が寄港するなどヒトやモノが集まる場所となっていた。江戸湊の中心は江戸前島と呼ばれる半島状に突き出した微高地で、半島の西側は日比谷入江と呼ばれる浅瀬であった。江戸城と城下町の整備は1590(天正18)年の家康入府から約70 年間、4 代にわたって続き、江戸湊は木材や石材を受け入れる役割を担った。1603(慶長8)年に家康は征夷大将軍となり、天下普請として支配下の大名に土木・建築工事を命じた。その一環として神田山の台地を切り崩した土砂で日比谷入江が埋立てられ、現在の丸の内や日比谷公園の一帯が造成された。1612(慶長17)年からの天下普請では、大量の資材や消費物資を江戸に運び込むため、江戸前島の東側に舟入堀と呼ばれる港湾施設が整備された。物流と都市機能が調和する埋立地「東京港」東京都、江東区・中央区・港区・品川区・大田区Landfill sites that balance logistics and urban function (Tokyo Bay)特集 東京を支えてきた土木施設Special Features / Civil engineering facilities supporting Tokyoいであ株式会社/社会基盤本部/沿岸・海岸事業部加地智彦(会誌編集専門委員)KACHI Tomohiko都心に隣接する東京港