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Civil Engineering Consultant VOL.286 January 2020 0151900(明治33)年からは塩浜・枝川、昭和以降は潮見・夢の島・若洲・中央防波堤内側・羽田沖へと移り変わった。現在供用されている中央防波堤外側の新海面処分場は、港内に確保できる最後の廃棄物処理場であるため、海底地盤を掘り下げて容量を増大する延命化が図られている。そこで掘削した土砂は東京湾の漁場整備事業に有効利用されている。この中央防波堤埋立地の帰属をめぐる江東区と大田区の争いは記憶に新しい。江東区の主張は埋立地に向かうゴミ運搬車による渋滞や悪臭に耐えてきた負担の大きさであり、大田区の主張は区内の漁師が海苔の養殖を行ってきたという歴史的経緯であった。現在の東京港からは想像がつかないが、埋立地が拡大する前の冬場は、航路両側を海苔ヒビが埋め尽くしたという。しかし、臨海工業地帯からの工場排水や河川からの生活排水の影響で海苔の収穫量が減少し、1962(昭和37)年に東京都が漁業権を全て補償することとなり、東京港から海苔ヒビは姿を消した。■ 進化する東京港埋立地東京2020オリンピック・パラリンピック期間中、臨海副都心の遊歩道「夢の大橋」周辺に聖火が掲げられ、オリンピック18 競技、パラリンピック9 競技が東京港内14会場で行われる。それに合わせて大型クルーズ船が着岸可能な客船ふ頭が整備されるなど、東京港はヒトやモノがますます集まる場所へと進化している。このため、人命・財産を守る防災対策にも重点が置かれている。臨海副都心などの新しい埋立地は想定される津波・高潮よりも高い地盤高で造成されているが、内陸側の古い埋立地は地盤高が低くゼロメートル地帯も存在しているため、埋立地を囲むように配置した防潮堤、水門、陸こうで浸水を防ぐとともに、内部の雨水を排水する仕組みが構築されている。これらの施設の運用は2カ所の高潮対策センターが担っており、どちらか一方が機能しなくなった場合の相互バックアップが可能となっている。東京港は物流機能や危機管理体制を強化しながら、世界から人が訪れる国際観光港湾へと今後も進化していくことだろう。一方で、明治以降発展してきた横浜港も「横浜経済の活性化と市民生活を豊かにする総合港湾づくり」を目指して整備が進められている。開港当時の経緯を踏まえて両港に注目してみると、おもしろいのではないだろうか。<参考資料>1)『東京港史』東京都港湾局 1994年2)『PORT OF TOKYO 2019』東京都港湾局 2019年3)『東京港港湾施設等予防保全基本計画』東京都港湾局 2017年4)『高潮・津波からまもる』東京都東京港建設事務所高潮対策センター 2017 年5)『横浜港修築史(明治・大正・昭和前期)』運輸省第二港湾建設局京浜港工事事務所 1983年6)『港をめぐる二都物語 江戸東京と横浜』横浜市都市発展記念館、横浜開港資料館 2014年 横浜ふるさと歴史財団7)『地図で読みとく江戸・東京の「地形と経済」のしくみ』鈴木浩三 2019 年 日本実業出版社8)『さまよえる埋立地』石川雄一郎 1991年 農山漁村文化協会<取材協力・資料提供>1) 東京都港湾局2) 一般社団法人東京都港湾振興協会<図・写真提供>図1、3 P12上、写真5 東京都港湾局図2 東京都港湾局提供資料を基に筆者が作成写真1、3 一般社団法人東京都港湾振興協会写真2 有賀圭司  写真4 加地智彦  写真6 塚本敏行図3 津波・高潮による埋立地の浸水を防ぐ施設配置写真4  聖火が掲げられる臨海副都心の遊歩道写真5 陸こうの開閉点検作業写真6 排水機場(左)と水門(右)「夢の大橋」